''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

歩こう会、臨済宗大本山・妙心寺探訪 より。

朝から穏やかな春の予感です。
天気予報では、11℃ほどの気温となるようです。
梅もそろろそ満開でしょうかね。

先日の歩こう会の続きです。
相国寺北野天満宮と来れば、次は妙心寺です。

臨済宗大本山です。
臨済宗でも、最大の宗派です。
その大本山は、甲子園球場7、8個の広さがあると言います。

花園天皇離宮を、大徳寺の開祖大燈国師の法嗣である関山慧玄(えげん)をお召しになり、禅刹となされたのが、正法山妙心寺の起こりであるとパンフレットに解説されています。

大徳寺の開祖・大燈国師と言えば、私のブログにも何度も当時要しています。
本名 宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)(1282- 1337)正燈・興禅大燈という7つの国師号を後醍醐・花園の両天皇から贈られています。
禅の上では、高僧中の高僧です。

26歳で印可を受けてから、20年ほどホームレス坊さんしていました。
三条橋の下にもお暮らしでした。
そんな折、時の天皇がお会いしたい申したのですが、もちろん、無視です。
しかし、知恵者が天皇にささやかれます。

大燈国師は、瓜が大のお好きです。
瓜を食べにおいでになりませんかと、お誘いです。
それならと、ご馳走になりにおいでになったと言う逸話は、有名です。
私のブログでも、もう少し詳しく過去記事にしています。

まさしくホームレス暮らしをすること、20年、中学生の時して、一攫千金した芸人とは違います。
その20年とはどんなものだったのでしょうね。
ホームレス時代の絵画を幾度か見たことがあります。
もちろん、後世の人の筆です。

世捨人もまんざら悪くないのかもしれせんね。
まだまだ、そこまで修行は出来ません。

建武4年(1337年)、大燈国師は病に伏し重態となるが、花園法皇の求めに応じて、妙超没後に花園法皇が師とすべき禅僧として、弟子の関山慧玄を推挙した。そのと氏の12月22日に没している。(Wikipedia参照)

大燈国師の後を託された関山慧玄禅師様です。
境内は松しかありません。
華美を好まれなかったようです。

塔中には、47ほどあるようです。
それぞれの塔中には、いろいろな花が植えられています。
そのお庭も見るのも、楽しみの一つです。
今回は、一条通りの門から一番近い燐華寺にも入りました。

6年ぶりの公開のようです。長谷川等伯筆の「山水図」、狩野永岳筆の障壁画や襖絵が公開されていました。
私は、やはり安土桃山時代の作品が落ち着きます。
江戸期の狩野派は、少し色が強いですね。
イメージ 1

ゆっくりと拝観の後、あの龍を見に行きました。
狩野探幽55歳の雲龍図です。
8年の年月をかけて描かれたと解説されていました。

直径12メートルと、相国寺の9メートルより、大きいです。
この日は、昼に東日本大震災の法要が行われていましたので、パイプ椅子に座って話を聞きました。

「八方睨みの龍」です。
どこに居ても、こちらを眺めています。
ぐるりと一周です。
大きな法堂の空気がぴんとしています。
イメージ 2

続いて、三門です。
三門も特別公開でした。
三門は、通常、山門と書きます。
東福寺南禅寺など、山門です。

でも、妙心寺は、山にはないので、三の字を当て、三門とされています。
上には、お釈迦様の仏像やら、お弟子の像やら、仏法の絵画が描かれています。
いつもは日に当てていないので、数百年経っても、色が綺麗です。

それにしても、急な階段です。
もちろん、門上での写真撮影は禁止です。
三門を下ってから、写真を撮りました。
勅旨門、三門、仏殿、法堂、縦一列お堂が並ぶ独特の伽藍ですね。

禅の教え、根本の大本山は、やはり聖地ですね。
伽藍の配置といい、境内の空間といい、日常の空間ではありません。
心穏やかになります。

ただ、観光客が多いです。
私もその一人ですが、静かにお庭を見ながら、腰をかけて、ゆっくり時間を過ごしたいです。
そんな時間の過ごし方もいいですね。
今日は、定期の歩こう会でしたので、なかなかお会いできない方と語らえて、良かったです。

まだまだ続きます。
明日は、お茶の振る舞い、一服の話です。

ありがたいことに、私は仏縁を頂けています。
ありがたいと感謝しています。
日々の中にこそ、幸せがあると信じています。
非日常の空間も、これまだ幸せですね。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈ります。

最後まで、禅押売り(瓜)話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。