''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

12日のカレンダー「心をととのえて道を楽しむ」より。

妙心寺で頂いた日捲りカレンダーを、毎日見ています。
日捲りと言えば、365日(今年は366日)毎日捲るカレンダーです。
妙心寺で頂いたカレンダーは、31日分の31枚の日捲りです。

毎月1日なら、12月分すべて同じ言葉が記されています。
妙心寺と言えば、臨済宗妙心寺派大本山の寺院として、広大な境内を有する寺院です。
開基(創立者)は花園天皇、開山(初代住職)は関山慧玄(かんざんえげん、無相大師)です。
虚堂智愚〔きどうちぐ〕から、南浦紹明(大応国師)、宗峰妙超(大灯国師)を経て禅の法嗣として、一番華やかな時代です。

妙心寺は、師の宗峰妙超(大灯国師)が開基した大徳寺と共に、京都の禅の中心地でもあります。
その言葉には、いろいろと深いものがあります。
カレンダーにも、その一端が散りばめられていると感じますね。
イメージ 1

昨日、12日の言葉は、「心をととのえて道を楽しむ」です。
深い意味にも感じられます。

後半の、道を楽しむというところがいいですね。
いろんな道があるはずです。
その道はきっと辛いことも多いです。
それが、人の道ですからね。

しかし、どんな時にあっても、その道を楽しむことが、肝要と言われているのですね。
人生、時に「こんなばずじゃなかった」と思うことも多いでしょう。
ノートルダム清心学園の理事長を渡辺和子さんの著書『置かれた場所で咲きなさい』言われるように、置かれた場所で、人は花開くものなのですね。
感銘を受けた聖書の言葉です。
人から見えないところで、咲く花もあります。

どんな場所であろうと、そこで楽しむと言う事は、人生を豊かにしてくれるキーワードに感じます。
どんな場所でも、花を咲かすという思いがあれば、大阪ミナミの無差別殺人は起こらなかったのかもしれないです。

人の行く道の一寸先は闇ですね。
どこにあっても、危険はいっぱいです。
それなら、自分の進む道を信じて、それを楽しんだら、悔いはないでしょうね。

人の人生は、危険がいっぱいです。
こちらがどんなに注意しても、どこから災難が降ってくるか分からないです。
その原因は、何でしょう。
因果の縁起でしょうね。

どこかで、悪い縁に引きづられることにあるように思います。
直接的な縁でなくても、間接であろうが、何かの縁に引っ張られたことによると、思います。

そこにあるのは、「欲」なのか、「迷い」なのか、分かりません。
もし、あの場所に行かないと、事件には巻き込まれなかった。
ただ、自分が行った悪い縁でなく、取り巻く悪い縁かもしれません。

いつものそこを歩かないのに、事件に巻き込まれることも多いです。
たまたま、そこを通りかかっただけという事もあります。

何かの悪い縁に捕まれたのかもしれません。
自分が気を付けていても、悪い縁が向こうからやってきます。
残念ながら、防ぐ方法はないですね。

ただ、出来ることがあるとすれば、日々の暮らしの中で、ささやかながら悪い縁に近づかないということでしょう。
「触らぬ神に祟りなし」と言います。

ただ、悪い縁が、良い縁の人にまとわりつきます。
不可思議な事件が続いています。
今回の通り魔事件のように、物凄い強い悪縁に、罪もない一番近くにいた人が、引きづられたのでしょう。
心より、冥福を祈りたいです。

悪い縁は、切っても、切っても、蜘蛛の糸のように絡み付いてきます。
現世の縁だけでなく、見えない過去世の縁もあります。

それでも、悪い縁に少しでも近づかないようにすることが必要です。
目先の欲に、引きづられることも多いです。
欲の多いところは、悪い縁が多いと言えますね。

美味しい話は、なかなかありません。
自分だけ特別と言うこともありません。

悪い縁に引きづられない、これだけでも、幸せなことです。
そういう意味では、日々の暮らしを過ごせることは、大変幸せだと言えます。
日常の暮らしを、今ある暮らしを楽しむ。
自分の分にあった幸せを見つめて、それを感じることでしょうね。

この世の修行は、悪い縁を断ち切り、いい縁を結ぶという事にあると思います。
まずは、心を整えて、心の安穏を求めることにあると思います。
何もないことが、一番の幸せだと感じられる暮らしは、ありがたいです。

日々の暮らしの中、ささやかな幸せを見つけます。
今ある道を進むと、長安にたどり着けると、確信しています。
どんな状況にあろうと、今歩いている道の先には、長安に綱がっているはずです。

私にとって、悪い縁から、身を守って下さるのは、やはりありがたい仏縁です。
そう言っても、悪いことも起こります。
時に、事故にも合うかもしれません。

ただ、そのご縁がなかったら、もっとひどい状態になっていたのかもしれません。
そう思えることが、何事も重要であるように感じます。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、お気軽な道楽者の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。