''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

頑張っていない2014年11月の電気代 より。

今朝の冷たい雨は、応えくしたね。
スクーター通勤の途中、転倒しそうになりました。
後ろから、大きなトラックが迫って来ましたので、その恐怖は計りしれません。

やはり、これから恐怖の季節になります。
通勤もそうですが、家での生活も、これからの時期いろいろあります。
朝の布団から出るのが、辛い季節です。

家では、コタツが主たる暖房器具となります。
子供の頃から、マイコタツを持っていました。
ですから、コタツでの生活は快適です。

今も、愛用のコタツに、コーナンで見つけた70センチの六角レンチの足を取り付けています。
この時期ですから、長い180㎝×180㎝のコタツ毛布を掛けています。
これなら、今でもコタツの代わりになります。
さすがに、コタツの電気のスイッチは、入れていません。

今でも節電モード全開です。
今月の電気代の請求が、ポストに入っていました。
イメージ 1

2014年11月の電気使用量は、58kwhで、その請求金額は、1,370円でした。
こりゃ、意外に健闘です。
ただ、全く無理はしていません。
先月も、1,300円台でした。
いいペースの感じです。

寒さなどにも、無理はありません。
寒いのであれば、暖房も入れます。
暗いのであれば、照明機器の電源を入れます。
特に無理はありません。

それが、何事も続けるコツです。
私も、痛風患者ですが、アルコールも頂きます。
特に薬も服用していません。
無理せず、肉も食べたくなったら、加減をして食べています。

私の人生訓も同じです。
毎日の歩みの中に、この道を進めば、きっと長安に到達出来ると、考えています。
禅の言葉、禅語の中に、「大道透長安」(だいどうちょうあんにとおる)があります。
『 趙州録 (じょうしゅうろく) 』に出てくる事で有名です。

和尚と若い僧との会話です。
(僧)問う、「如何なるか是れ道」(仏の道とは、一体どんなものでしょうか?)。
師云く、「墻外底(しょうげてい) 」(道なら垣根の外に道があるよ)。
~中略~
こんなやり取りの中に最後に師が言ったのが、「大道長安に通ず」です。

日々の普通の日常の中にしか、道はないと言うのでしょう。
朝起きてから、眠りに就くまでの、人の営みがあるだけです。
食事もします。
用も足します。
一つ一つが、道の中にあります。

日々の暮らしも、長安に向かう途中の道です。
道なら、疲れれば、休めばいいし、休んで進みたくなれば、歩みを始めればいいだけです。
疲れないようにするにはどうすればいいのか、疲れないように、続けられるように、道を進めばいいだけだと思います。

誰も見ていません。
休んだからと言って、怒られる事もありません。
次の電柱まで、進もうと、自分の中で、自分をコントロールするのも、上手な道の進み方かもしれません。

頑張っている人間に、「頑張れ」と声をかけても、苦しくさせるだけです。
頑張っていない人間に、「頑張れ」とゲキを飛ばす事はあっても、これ以上頑張れないほど頑張っている人間には、「無理をするな」と声をかけたいでね。
でも、人様から見れば、それは頑張るなと否定的に取られます。

世の中は、なかなか難しいですね。
今日を生かさせてもらっていると、感じる事が何より肝心です。
生きている訳でなく、何かの力で、生かされています。
ありがたいと、感謝の念が生まれます。
ありがたい仏の縁に感謝です。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、酒呑みの前後不覚な話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げ
ます。