''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ごはんのお供に、うわべ食品の高菜ちりめんにて、より。

ごはんのお供に、うわべ食品の高菜ちりめんにて、より。

天気予報の通り、午後3時過ぎより雨になりました。
雨の帰宅となりました。

スクーターでの仕事場への行き帰りは、いろんなことがあります。
朝の寒さも堪えます。
もちろん、雨の中レインウェアーを着ての行き帰りも堪えます。

今日の帰りは、両方です。
二重苦と言えそうなものです。
雨での視界も悪いです。
明日も、まだ雨が残りそうな気配ですね。

ささっと、夕飯を食べて、眠りに就きたいです。
明日は、早番ですから、朝の午前3時前には、起床です。
この寒い中での起床は、堪えます。
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そんな時、ごはんのお供があれば、ささっと食べられます。
うわべ食品工業の高菜ちりめんです。
我が家では、伊勢志摩産のひじきやあおさを購入しています。
こちらも、記事にしていますが、あおさを買った時の試食用にと、同封されていました。
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ごはんのお供には、いい感じです。
高菜も、ちりめんも、好きです。
好きと好きで、大好きでしょう。

ちりめんじゃこと言うのは、何ともほっとする食べ物です。
大根おろしと一緒に頂くのもいいです。
大根おろしも、汁ごと一緒に頂きたいです。
ここに、少し醤油を垂らして、ちりめんじゃこと、大根おろしを合わせます。

これを熱々のごはんに乗せて頂くのもいいですよね。
今回紹介する高菜とちりめんじゃこのコラボも、わるくないです。
どちらも、自分が自分がと、主張し合いません。
これも、ごはんが主役ですからね。

大根おろしにしても、ちりめなじゃこにしても、高菜にしても、銘々が自己を主張せずにあることは、すべてが俳優なら名脇役です。
映画も芝居も、出演者がすべて主役なら、話が成り立ちません。
でも、自分が主人公と言う思う気持ちは必要だと思います。

禅の言葉、禅語の中にも、瑞巌の彦(げん)和尚の「主人公」と言う言葉があります。
意味する所は、難しいですが、要するに、本心本性・真実の自己・禅のいわゆる本来の面目の事だと説明されます。

自分が自分で有ると言う事を意識する事と意訳するのは、砕き過ぎでしょうかね。
天のカメラは、あなたを中心に撮影されています。
そこに演じるのは、脇役の人ですが、あなたこそが、主人公です。
少しも油断してはいけません。

自分の心を、行方不明にしては、いけませんよ。
居眠りもいけませんね。

たかが、ごはんのお供と言うなかれ、主役のごはんの引き立てる主人公ですからね。
この一椀に、美味いと感じます。
今日も、8時過ぎには、就寝モードにならないと、朝の3時過ぎには目覚めません。
3時と言えば、ほぼ真夜中です。
天のカメラが、回っています。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、うわべばかりの清々寂々の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。