''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

我が家の食卓ものがたり 豆ごはん より。

今日は、5月5日の子供の日ですね。
我が家に、子供が授かって最初の子供の日です。
ありがたいと感じます。
それに、今日は六祭日の蓮の日ですね。

5月5日は、端午の節句ですから、基本は男の子の節句です。
もちろん、3月3日の桃の節句は、女の子の節句ですね。

どちらも、子供の健やかな成長を念じるのが目的です。
ありがたいことに、50歳にして、人の親となりました。
不思議な感覚を覚えます。

このブログを書いている横のベビーベットで、愛娘のゆうゆうは、横になっています。
寝ている訳ではありません。
ついさっき、オムツを替えて、ミルクを飲ませた所です。

穏やかに静かに、こちらを見ています。
時々、何やらにっこりと笑う表情を見せてくれます。
名前を呼ぶと、こちらに目線を移しますから、よく聞こえているようですね。
高齢出産とは言え、今のところ障害はないと思われます。
ありがたいことです。

昨日、郷里播州から荷持ちが届きました。
中には、家で取れた農作物が入っていたようです。
何やら、昨晩の食卓に上がったのが、豆ごはんです。
イメージ 1

嫁も、何度か豆ごはんを作ってくれています。
なかなかどうして、いい出来あがりです。
豆の色合いを重視するなら、ボイルした豆を、炊きあがってから、蒸らす時に混ぜ合わせると、色合いが綺麗です。

味を重視するなら、一緒に炊き込むてもあります。
それとも、両法のいいとこどりを狙って、豆をボイルした煮汁を、炊き込みごはんの中に、少し投じるのも、高等なテクですね。
茹で汁が、青臭くならないように、したいものです。
そこにもテクがありますよ。

まさしく、スローフードのローテクなんですよ。
今の流行りは、ハイテクです。
それも、ハイと言っても、俳句のハイです。

ダウンタウンの濱ちゃんMCの『プレバト』という番組で、出演者の夏井いつき先生の辛口の俳句批評が、流行りです。
一気に、俳句と言うモノが、若い人にも魅力的なものになって来ましたね。
いつも楽しみにして、拝聴しています。

やはり、時間を切り取った映像や言葉の音が、魅力的だと感じます。
たった17文字に、それを凝縮するのは、難しいです。

要するに、無駄の排除ですね。
俳句だけでなく、芸道にも通じますね。
話芸で言うなら、古典芸は、無駄の排除なんですよね。
不要なものを、これまでかと言うくらいに、排除したエッセンスが、そこに残っただけです。

それが、芸道にも、俳句にも通じると思います。
俳句は、もともと近世に発展した「俳諧連歌」、略して、「俳諧」から生まれた近代文芸であると聞きます。
それを、17世紀に松尾芭蕉の出現により、娯楽としての遊戯性を超越して、芸術性を高めことにより、文学しての芸術としても、鑑賞に堪えるものに成長したと聞きますね。

その転機になった俳句が、有名な「古池や蛙飛び込む水の音」でしょう。
芭蕉が聞いたのは、水の音だけですね。
そこに、音のイメージの創造が加味されたと言う事ですね。

見たモノを詠むのでなく、どこかに読手のイメージを想像させる世界が必要と言う事ですね。
この辺りも、話芸に通じると思います。
落語にしても、扇子と手ぬぐいだけ、首を振る上手下手の位置によって、そこに登場する人物をその人物に関するイメージを、勝手に造らませます。

どちらも、日本の素晴らしい文学や芸です。
17文字と言う、超越した言葉の中に、文学を想像させるのは、日本の文化水準の高さを感じさせますよ。

今後も、残した素晴らしい文化です。
その素晴らしい文化を、辛口でばっさりと批評して、添削して、分かり易く説明して下さる夏井いつき先生の人柄に、引き込まれますね。

俳句、俳人と言えば、何だかもの穏やかでいて、少し奇人変人の雰囲気がりあますよね。
世間を超越したと言うのか、世間離れしたと言うのか、浮世離れした言うのか、不思議な世界の中に住される仙人的な感覚を感じます。
私の勝手にイメージかもしれませんけどね。

今日は、風も冷たくないし、いいお天気です。
嫁も外出していますし、昼からゆうゆうと二人きりで、ゆっくり過ごします。
ありがとさんです。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、蓮した脈々と通じる話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。