''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

記念の聖地 大阪天満宮に親子3人で出かけました より。

何とかお陰さまで、結婚して4年が過ぎました。
神仏のご加護に、他なりません。
4年前に、大阪天満宮で、式を挙げて、子供が授かり、今日に至っています。
ありがたいことです。

 

昨日親子3人して、記念の地 大阪天満宮に参詣に出かけました。
大勢の人出に驚きです。
天気も良かったので、盆梅展と初宮のお客さんが多かったように思えます。

 

残念だっのたは、結婚式の後の食事をした相生楼が無くなり、マンションになっていた事ですね。
思い入れが強かっただけに、何か感慨深いですね。

 

時の流れですから、それも仕方ないです。
でも、相生楼で結婚式の後の食事会と、ゆうゆうの初宮の時の食事を頂いたことは、生涯の宝物ですよ。

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天満宮と言えば、梅のイメージが強いですね。
菅原道真公の飛び梅の和歌を思い出します。

 

東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ 

 

有名な和歌ですが、あれと思われる方は、きっと「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな 」と記憶されていたのかもしれません。こちらは、初出の『拾遺和歌集』による表記ともされていますので、どちらも正解でしょうね。

 

東の風と書いて、こちと読むのは知らないと分からないはずです。
その点、知っておれば、少しだけ格好がいいかもですね。

 

東風とは、東から吹く暖かい風で「春風」の意味みたいですね。
こちと呼ぶのも、こ=小さい、ち=風 を意味するととも聞きます。
まさに、春風の意味するようですね。

 

道真公と言えば、宇多天皇に重用され、寛平の治を支えた内の一人であり、醍醐天皇の時代には、異例の右大臣にまで出世されて御仁です。
しかし、政敵の左大臣藤原時平に讒訴(ざんそ)されて、大宰府へ権帥として左遷され現地で没したのは有名です。

 

その後、都に死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象であり、現在も学問の神として参詣されています。

 

京都では、今の最初の神社にして、住まいであった地の住所、菅大臣町と言いますから、分かり易いです。
京都銀行の本店近くですね。
私のブログでも紹介した事があります。

 

いろいろと功績もありますが、一番の功績は、遣唐使の廃止でしょうね。
日本の文化が、より日本らしくなたきっかけを作られたのは、偉大な功績だと言えます。
ただ、学者や僧からは、嫌がられたと思います。
とりあえず、遣唐使で唐に行って帰ってくれば、箔が付きますからね。

 

空海は、その代表格でしょう。
天災空海も、遣唐使に行った時は、ただの留学生でしたが、帰ってくれば、実質的に天台宗の座主より、地位が高くなりましたからね。

 

それもこれも、そのきっかけは、遣唐使に選ばれたからと言えます。
もちろん、天才にして、努力の賜物であること、そのずば抜けた縁があったのも、由来しますけどね。
恵果和尚から後継者に指名されて、その貴重な宝物や書物を手に、日本に帰国出来たことも、日本仏教には、大きな功績です。

 

空海遣唐使になった時は、まだ平安京の時代でなく、長岡京時代ですから、すでにその時から考えると、遣唐使の使命も必要なくなった時代になったのを、いち早く感じていたのが、道真公だったのかもしれません。

 

天満宮で、手を合わして、ご加護を得ている事に感謝しています。
ありがたいことです。
このゆうゆうにも、ずっとご加護が頂けますように、手を合わせます。

 

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。