''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

天神さんの梅の匂いに誘われて より。

京都でも、10日、11日と天気が良かったですが、久しぶりの雨音です。
帰宅時には、パラパラしていましたが、今は本降りです。
帰宅してすぐに、雨の勢いが強まりました。
やはり、観音様のご加護かもしれません。

 

今、2月と言えば、大学入試の時期ですね。
格通知が来るまでが、これまたいろいろ悩みます。
そんな気持ちを紛らわせる為にも、神仏に手を合わせると、気持ちが落ち着きます。
合否の結果は、置いておいて、今暫く何も考えずにいることも必要です。
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10日は、大阪天満宮に参拝していました。
社殿には、いつも参詣の人が絶えません。
この日は、催し物があったので、意外に賑やかです。
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天満宮の梅となると、何だかありがたい気になります。
学問の神様と言うより、梅と言えば、天神さまですよね。
その御紋も、梅の紋です。

 

梅は匂いが命かも知れません。
あの一文が頭を過ぎります。
「梅は匂いよ木立はいらぬ・人は心よ姿はいらぬ」
林芙美子のイメージです。
「花の命はみじかくて・苦しきことのみ多かりき」の方が有名ですけどね。

 

少し調べてみたしたのですが、「梅は匂いよ木立はいらぬ、人はこころよ 姿はいらぬ」は、日蓮宗の僧 高三(たかさぶ)隆達が創始した、「隆達小歌集」の内の一句にあると聞きます。
大永7年(1527年) - 慶長16年11月25日(1611年12月28日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍された日蓮宗の僧侶ですから、こちらの方が本家なのかもしれません。
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梅は匂いもいいですが、その姿もいいですよ。
愛らしい綺麗な花です。
つぼみが何ともいい感じです。(ローラ風に)
平安中期まで、花と言えば「梅」でした。

 

平安の終わり頃には、花と言えば「桜」のイメージに変わったと聞きます。
ぱっと咲いて、ぱっと散ります。
散りゆく姿が、何とも儚いです。
それが、人の運命や命のイメージとリンクして行きます。
ああ、ありたいと思うわけです。

 

でも、桜だけが花ではありません。
ペンペン草のナズナの花も綺麗です。
「よく見ればナズナ花咲く垣根かな」という有名な俳句もあります。

 

梅は、花の少ない時期に、その花の姿と香りを運びます。
春の魁ですからね。

 

それでも、姿も必要です。
人も同じです。
確かに、人は心が大切です。
でも、心も体も必要です。

 

容姿と言うじゃないですかね。
ぺらぺらの紙も、用紙と言います。
人もぺらぺらじゃ、頼りないです。

 

人の姿も、その心を表すことがあります。
相撲で言うなら、心技体です。
心と体は、一対です。

 

人の姿に多くは求めませんが、やはり、誠実そうな方がいいです。
甘い香りもいいかもしれません。
シナモンロールのようないい香りも好きですね。

 

何かパンとかケーキを作れるような感じの家庭的な方は、いいですよね。
私のような男なら、色気より食い気呑み気です。(もちろん、色気も欲しいですよ)
胃袋が幸せだと、意外にしあわせです。

 

そう言えば、10日に頂いた「てっちり」と「ヒレ酒」は、手の届く少し豪華な究極のご馳走でしたね。
ありがたいことです。

 

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せが見つけられる暮らしは、幸せです。
ありがたい仏縁です。
もちろん、神様とのご縁も、そこにあります。
神仏を尊ぶことは、必要な事です。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせます様に、祈るばかりです。

 

最後まで、梅なのか、うめーぇなのか、迷える羊の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。