''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

3月の禅の言葉 「渓梅一朶香」より。

3月ですね。
少し気温の温かさを感じます。
2月の末に体調を悪くして、1週間ほど臥せっていましたから、余計にそう感じますね。

 

今日も温かと感じました。
しかし、関東方面では、季節はずの大雪に難渋されているようです。
怪我のないようにして下さいね。

 

今年の初めに小学生の時の恩師から、日本の心「墨蹟」禅林各派、管長、師家のカレンダーを頂きました。
月の初めに、それをめくるのが楽しみです。
今月は、どんな禅の言葉が書いてあるのだろうとね。
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3月は、永源寺派管長 篠原大雄 老師の書画ですね。
「渓梅一朶香」(けいばいいちだかんばし)と梅花図です。

 

大意 春おな浅き山間に咲き出た一枝の梅花。一輪の香りは天地一杯に広がり、ある時は極微の一点に透徹して不自由なし。比較を越えてのびのびとした心の世界を感得したい。
解説が添えられています。

 

永源寺と言えば、東近江の永源寺ダムの名でも、有名な臨済宗大本山・瑞石山永源寺ですね。
開山は、康安元年(1361年)、寂室禅師(正燈国師)のようですね。
ネットで少し調べました。
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学生時代、友人がここの地の出身でしたので、お寺の名も知っております。
行ったことはありませんが、パンプレットは手元にあります。
不思議なご縁です。
最近、偶然手にしたご縁です。
まさか、そのお寺の管長さんの書画を、3月に拝見しようとは思いもよらない事です。

 

この寺が、「座禅研鑽、天下泰平、万民安穏」を祈る道場と言うのも、今回初めて知りえました。
安穏はいいですね。
私も、ささやかながら、平穏無事に、安穏を祈っています。
心の安穏です。

 

いらいらした三毒の世界からも、逃れたいとおも一念です。
独り善がりに、ならないようにしないといけません。

 

老師の書と梅の絵に、その空間に春を感じます。
余白に、何か感じます。
梅の香りがしそうな気もします。
春も近いですからね。

 

平安時代の初め頃まで、花と言えば、「梅」でした。
それが、時代の変遷と共に、「梅」から「桜」に移ります。
平安の雅な姿が、華やかな桜の誘われたのかもしれません。

 

御所の内裏にある紫宸殿正面にも、左近の桜があります。
右近には、橘が植えられています。
左近の桜に、右近の橘と言われます。
左近の「さ」と覚えれば、桜が出来ます。

 

御所は一度行ったことがあります。
もちろん、一般公開の日です。
春の京都に来られたら、平安神社にも、同じように左近右近の桜と橘が植えられています。
綺麗に咲いています。

 

梅は、香りが命です。
「梅は匂いよ木立はいらぬ、人は心よ姿はいらぬ」
(江戸時代の堺の商人で、小唄・隆達節の開祖、高三隆達(たかさぶ・りゅうたつ)
この方の名言のようですね。

 

私は、林芙美子の引用で知っています。
「花の命は短くて・・・」 林芙美子の一節で有名です。
放浪記の方が有名ですね。
過去にも記事にしています。

 

やはり、梅にしても、橘にしても、香りがいいですからね。
こっちこっちと、香りで自分の存在を知らせます。
自分から、いい香りでしょう?
綺麗でしょう?
とは、言いません。

 

花が、花として咲いている。
その姿が、美しいと感じます。

 

誰かの為に咲いてはいません。
梅が梅として、春になったから咲いています。
自然の摂理ですかね。

 

その自然の摂理の中に、仏の悟りの心境もあるはずです。
凡夫には、その答えすら見つけられません。

 

それでも、春はやってきます。
仏の世界に住しています。
ありがたいとこです。

 

ありがたい仏縁を頂いて暮らさせて頂いています。
人は、何かの力で、生かされています。
私は、ありがたいと仏様に感謝しています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、永源はるかな音無の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。