''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

この「たーこ」と、この「いーか」

関東のお方よく、この「タ~コ」と怒られます。イカじゃダメですかね。

お答えします。
何故「たこ」と怒り、叱り、蔑視(べっし)するのか?
本当は「いか」なんですよ。なんて事と思われますよね。
本来、「この『いか』」と、侮蔑(ぶべつ)し、蔑視(べっし)し、相手を馬鹿にした言葉です。

江戸時代、武士が世の中を治めていました。しかし、身分制により武士といえどもピンからキリまであります。一番下の武士(足軽も含める)は、3両2人扶持でしょうか。一年間で手当てを付けないと3両の給料と毎月2人分の扶持米(現物支給)(1人扶持は日に米5合)で暮らします。これが給料です。

1両ざっと15万円換算なら年収45万円、20万円換算なら60万円ということになります。1両の価値も鋳造した時代により違いがあります。

時代劇では、町人が小役人を馬鹿にして「このサンピンやろう」と言います。サンピンとは3両1人扶持のことです。実際には2人扶持ぐらいが一番下だと思います。暮らしていけませんからね。(実際この給金では、武士でなく足軽と言うことになります。足軽は武士の格好はしていますが、本当の武士でなく、武士もどきと言えます。戦国時代、長い槍もって戦の最先端にいる人ですよ)

一番上は、もちろん将軍さまです。でも、普通の一般的な武士の中に大きな隔たりがあります。これがお目見え以上、お見え以下に分かれます。

お目見え以上は、将軍に仕える旗本なら直接会えることを意味します。会えるといっても「やあー」と言えるのではありません。そば近くに近寄れることが出来るという程度です。

役職があれば当然会話することもありましょうが、無役では大身の旗本以外はちよっと無理です。でも、家督を継いだり、嫡男の指定を受けたときには、直接拝謁して挨拶には行けます。「大儀であった」と一方的な感じです。

将軍に仕える直参なら、お目見え以上は「旗本」と呼ばれ、お見え以下は「御家人」と呼ばれます。もちろん他の大名家も同じです。お目見え以上は、管理職となり、大名を支えます。お見え以下は、小役人として雑事をこなすだけです。これも役に付けた場合です。無役の場合もあります。無役は、まだ割り金を大名に差し出す場合もあります。

大変です。一生出世はせずに小役人は、小役人として宮仕えです。どんなに能力があろうと仕事は変わりません。どの家に生まれてくるかで人生が変わります。子供同士も同じです。

ですから、上級・中級武士の子供は、「この以下」と下級武士の子供を馬鹿にします。もちろんこの「以下」は、お目見え以下の「以下」です。でも、そこは子供です。下級武士の子供も「このタコ」と言い返します。イカの反対はタコなんでしょうかね。子供のトンチなんでしょう。

こんなわけで「このタコ」に成りました。

身分制度のない世に生まれてきたことに「感謝」です。

多少の経済格差というそれ以上の見えない格差はありますが、やる気さえあれば頑張れる世の中です。

あとは自分に目標を定め、そこに向かって頑張るだけです。その成功への階段上る楽しみはあります。階段の入り口を知りませんか? 探しているところです。

成功者はすでに上ってしまったので、上る楽しみは味わえません。あとは「守り」だけですよ。
階段上る楽しみをまだ味わっていないことに「感謝」です。

きっと、何かの天命を受けて生きているのですから、連絡でも来るかもしれません。心穏やかに待ちたいです。その日に備えて、まずはこころの準備も必要ですよ