''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

橘の花と菓子

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橘(たちばな)の花は、初夏に咲く白い五弁の花を付けます。なんとも清楚で可憐な花です。

物の本で、日本の菓子の始まりは橘であると読んだことがありました。橘(たちばな)=みかんということになりますかね?

文献に登場するかんきつ類は『日本書紀』(720)に垂仁(すいにん)天皇の命を受けた田道間守(たじまもり)が「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を常世(とこよ)の国から持ち帰った」とする記録に発するようです。

常世(とこよ)の国とは、中国か韓国か分かっていません。

田道間守(たじまもり)が帰国したときには、天皇は既に崩御されていた。その香菓を半分を皇后に献上し、残りを天皇の御陵に奉って、その前で泣きくずれ悲しみのうちに亡くなったというのです。

垂仁(すいにん)天皇は病気であったようですね。
橘(たちばな)とは「不老長寿の妙薬」ということになっています。『竹取物語』にも、かぐや姫が求婚者にもちかけた難題の一つに「常世の国の非時香果を採ってくるように」というのが出てきます。これが橘の実のことです。

橘自体は日本にも自生している植物ですが、食べる実は付けないようです。そのため食べれる実を付けた橘を外国に求めに行ったんでしょうね。この橘こそ、「小みかん」(紀州みかん)だったのでしょう。難しい学者さんの研究は続いているようです。

ちなみに垂仁(すいにん)天皇の御陵は、近鉄橿原線尼ケ辻駅西にあり、その御陵の堀に浮かぶ小島こそ田道間守(たじまもり)のお墓だそうです。崩御の後もお仕えされているんですね。(雑誌『サライ』1998年第22号参照)

いまでも会食の最後のデザートを「水菓子」と呼びます。
そういう意味でも果物が菓子の原型と考えられます。その中でも日本の菓子の発祥が「みかん」と言うことのようです。

御所の紫宸殿前に二本の木が植えられています。
「左近の桜」に「右近の橘」です。御所にも植えられるほどの格式があります。平安神宮にも同様のものが植えられています。こちらはいつでも見れます。

五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする (よみ人しらず)『古今和歌集』より という和歌が添えられていたと思います。

和歌の意味は、五月を待って咲く花橘の香りを嗅ぐと、昔の恋人が着物にたきしめていた香りが想い出されるという意味になりますかね。

いまでも香りと言えばかんきつ類です。今も昔と変わりませんね。

花の香りはすこし過ぎましたが、果実は秋からの楽しみです。
日本のみかんは世界で唯一手でむいて食べられるものらしいです。

四季のある日本の生まれて幸せ感じます。
ありがたい気持ちでいっぱいです。「感謝」です。
梅雨のあい間にかんきつの香りをかいで、心穏やかに過ごしたいです。

今日も最後までお付き合い下さってありがとさんです。