''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

風が冷たい京都の年の暮れ。三世の話より。

今日は、大晦日です。
毎日、日記としていろいろなことを書き記します。

嫌なこともあります。
楽しいこともあります。
つまらないことに腹を立て、イライラ虫がすぐに発生します。
凡夫のサガです。
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でも、ありがたいことに、私は仏縁を頂いております。
今日の深夜、除夜の鐘は、人間の煩悩です。
108つと言われています。

意味は、この時期新聞などでいろいろと解説されいます。
ここでは省略させて頂きます。

しかし、大切なのは、その煩悩が三世に亘ることのようですね。
前世、現世、来世の三世です。
過ぎ去った前世、まだ起こっていないこれから来世にもすでに煩悩があります。

魂のよりどころが、輪廻を繰り返します。
体は滅びても、魂は繰り返し、新しい肉体を、ヤドカリのように、家を変え続けます。
悲しいのは、前世の記憶を持っていないということですね。
しかし、お釈迦様には、多くの前世の記憶があります。

その中で、すでに前世で悟りを開かれていたというのが、仏法の経典「妙法華経」の中に記されています。
多くの人は、そうではありません。

ちょうど、人間が見る夢に例えられます。
一晩に多くの夢を見ます。
すべては覚えていません。
覚えている必要もありません。

夢の主人公が、自分自身であるとは限りません。
スーパーマンにであったり、女性になっていたり、動物であることもあります。
ストーリーも、怖いものがやって来たり、泣いたり笑ったり、時に夢の中でも、御酒を飲んでいることもあります。それが下戸であってもです。

不思議なことが多いです。
一つ一つは覚えていませんし、因果関係もありません。
それと同じということで、前世の記憶を承継する必要はないことですね。
あれば便利でしょうが、不便なことも多いと思いますよ。

夢と言ってしまうと、曖昧な感じがしますが、剣道や柔道の試合に例えると、その方がいいかもしれません。
一回こっきりの試合です。

相手は、いつも初めての相手です。
相手のデータはありません。

試合開始の「はじめ」の声です。
得意技を出したいです。
時間は「寿命」までです。

なかなか相手も強いです。
こんなことなら、前世でもう少し得意技を覚えることに専念したら、今回は楽勝だったかも知れません。

あなたの今の修行は、来世に繋がります。
今ここで、しっかりと苦労して、この現世で力を付けないと行けませんよ。
いつまで、前世でもう少し修行していたらというつもりですか?
前世でも同じことを言っていましたよ。

今、この現世でしっかりと実践「試合」の中で、実力を付けないと行けません。
「一本、それまで」

寿命がやってきました。
「有意義に過ごせましたか?」
これの繰り返しです。

本部席に偉い方が並んでおいでです。
これが、如来様や菩薩様です。
試合の隅で幾人者の審判人でおいでです。
仏様の世界においでの神様ですね。

絶体絶命に「観世音菩薩」様のお名を一心に唱えます。
「観世音菩薩」様は、シャバ世界の遊ぶと言われます。

助けてくださるありがたい菩薩さまです。
飛んで来られるのかもしれません。
「観世音菩薩」様の神通力です。

この試合を開催する主催者が、仏の世界です。
仏法世界の宇宙でもありますし、形なき仏様自体でもあります。

試合する場に立てることが、仏縁だと感じています。
この空間の空であり、この場も空です。
一回きりの試合です。
トーナメントでも、勝ち抜きでもありません。

勝っても賞金も名誉も何もないです。
じゃん、何のためにするのか?
疑問ですね。

早く言うと、プレーヤーとしてでなく、悟りを得て、本部席に位置するするためです。
試合をするのは、大変疲れます。
人としての宿命です。

疲れるからと言って、放棄も出来ません。
プレーヤーとして放棄すれば、プレーヤーになるための、もっと下の過酷な立場に落とされます。
J1がJ2に落とされるより辛い仕打ちです。

それは避けないといけません。
卑怯はいけません。
ルールに則って、プレーしないといけません。
本部席にも、審判にも見られています。

得意技も、前世の記憶はないのですから、どれが得意なのか自分で見つけないといけません。
相手の情報も、自分の情報もないですからね。
前世と体の大きさも違うかもしれません。

前世で苦労して会得した得意技は、意図も簡単な自分を優位にします。
体が覚えていると言う感覚でしょうかね。
ですから、今ある試合を専念しながら、得意技の開発も同時に修行しないといけません。
一回こっきりの試合、それが現世の人生です。

仏法では、一切は「空(くう)」と説明されます。
この世の中、すべては見える世界の「法」と見えない世界の「妙」が一対ととして存在しています。
空は、この「法」や「妙」も含めた存在です。
空とは、この現世も「空(くう)」です。
夢幻と言えます。

しかし、私はここにこうして生きています。
そう思われているはずです。
ええ、生きています。

正確には、生かされています。
現実世界です。
しかし、「空(くう)」なんです。

輪廻を前提として、今ある姿も仮のモノです。
ただ、今ここにこうしているのも幻想の仮の姿と言うことになります。
その仮の世界、それも三世の世界の「空(くう)」の仮の姿です。

それに煩悩が36ある。
これに三世分掛けて、36×3=108ということです。
仮の姿でも煩悩があるということですね。
来世には、次の来世もあって、輪廻の中に回り続けることになります。

じゃ、この現世は幻なら、何でもありかよっというとそうではありません。
この現世の修行が、次のステージに関係します。
来世は、現世で正しい考えであったり、行いであったりと、仏法世界の正しい生き方をしないとポイントとして反映しません。

この現世で培った縁(えにし)も、前世で培った縁(えにし)も、来世のポイントに関係しています。
つまり、現世も、前世やその前の前世に関係してるということになります。
因縁という奴ですね。
いい因縁もあれば、悪い因縁もある。

何かの原因と結果で結ばれている。
原因を究明して、問題を解決する。
これが仏法の教えだと感じています。

ですから、今宵の除夜の鐘に、前世も、来世も含めた煩悩として、肝に銘じて聞きたいものです。

私には熱いの呑みながらの煩悩だらけです。
悲しすぎます。
でも、これは言えます。
今日も平穏無事に過ごさせてもらっています。

「ありがたい」と感謝して、生かせて貰っています。
仏縁を頂いて、幸せであると心より感じています。

人様ほどの正月の用意はありませんが、ゆっくりさせて頂ける時間、食事、そしてお酒を頂戴しています。
これを言わずして、これ以上の幸せはありません。
すこし痛風ですが、体も心も健康です。

この一年ありがとさんです。
来年も皆様にとっても、私にとってもより良い一年でありますように祈るのばかりです。
一年間、ありがとさんでした。よいお年をお迎え下さい。

最後まで、ながながしい話に忙しい最中お付き合い下さいまして、心より心よりお礼申し上げます。