''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ひろさちや『観音経 奇蹟の経典』より。

裏庭にも強い日差しの京都伏見の朝です。
晴天の予感ですね。
しかし、気象の方では、特に夏場、快晴のことを「いいお天気」とは言わないようにされています。
作物の水不足を憂う方にとっては、晴天だからと言って、「いいお天気」だとは言えません。

ある方にとっては、「薬」でも、違う方には、「毒」かも知れません。
相対観の中に住する私たちとしては、仕方がないことになります。
何が善であって何が悪なのかも不明です。

み仏の前では、すべてが善であり、すべてが悪でもあります。
人は、何かを食していかなければ生きてはいけません。
その為に他のものの命を頂くわけです。
例え、野菜だと言えども、鳴いたり叫んだりの声は人には聞こえませんが、命を食することに変わりはありません。

人とは、このした業(ごう)の強い生き物です。
究極に言うなら、人の存在、そのものが「悪」とも言えます。
しかし、仏様は、一切衆生を救うのが目的です。
ありがたいことです。

私のような罪深い者でも、その仏縁を頂いたおります。
つまり、救いの手を出して下さっているということです。
偉そうなもっともらしいことをブログに書こうと、悪さも行います。

人様にご迷惑をかけているつもりはありませんが、知らず知らずの内にそのようになることもあります。
それも人の業でもあります。
罪深いと言うことですね。

仕事場の方がいろいろと社会の都合に翻弄されます。
ここ数年で2度ほど、社名も組織機構も変わります。
仕事のシステム自体が、全く変化さぜるを得ません。
こんな状態では、お客様が満足をされることはありません。

当然です。
お客様あっての、企業として営業活動です。
お客様を蔑(ないがし)ろにした企業の姿勢に、すこし疲れを見せています。
私もさることながら、仕事場全体に言えます。

仕事場のバラさんも、いろいろとそんな事態を憂いています。
仕事量も最盛期に比べると、激少と言えますね。
ここ2年の間の出来事です。
天国から地獄というと解りやすいですね。

悲しいことですが、私もその煽りの精神状態とストレス、それにここ数日の気温の上昇による水分摂取の不十分から、痛風発作らしき状態にあります。
ほん数日前からです。

足を引きずりながらの勤務です。
パソコン前に陣取っていますので、左程の支障はありませんが、トイレに行ったり水分を摂取したりするのに、一苦労しています。

仕事場全体が精神的なストレスを受けているとも言えます。
私だけではありません。
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バラさんが、仕事の時間の間が持たなさそうなので、これを読んだらと、私の本を差し出しました。
ひろさちや『観音経 奇蹟の経典』(大蔵出版)です。

よく行く古本屋で仕入れます。
仏教書もいくつも所有していますので、いつも鞄に入れています。
「えー?」
軽く冗談めかして言いましたので、軽めの返事で、本を手にしました。

いつもなから、ペラペラとめくって、「この手のは・・・・」と返すのが常です。
しかし、ペラペラめくって、イスに腰掛けて読み始めました。

観音経は、観音様の教えの経典ですね。
皆さんのご存知の「法華経」の一部ですね。
法華経観世音菩薩普門品第二十五という経典です。

これだけを別にして「観音経」ということがあります。
観音様の特別な神通力と功徳力が記されています。
菩薩様でも特別な菩薩様です。

本来、菩薩様とは、如来に準じた地位です。
如来様と仏様は同じ意味です。
しかし、菩薩様は、如来様になられるための修行されている身です。
ですから、準じる地位です。
いつか如来様になられます。

大学でいうなら、教授が如来様なら、菩薩様は准教授、昔風に言うなら助教授というようなら分かり易いかもしれません。
大学での、教授、准教授には大きな開きがあるのと、同じく如来様と菩薩様にも大きな大きな開きがあると感じています。

如来様と言えば、その人数だけでも計り知れません。
仏教書とかには、無量の百千万億の諸佛という言葉が出て来ます。
日月燈明如来と言う同じ名の如来さまは、2万仏もおいでです。

仏法世界には、無限の世界です。
そんな如来様が大勢おいでの中で、まだその修行の身の観音様を特別に扱うのかと不思議に思う方も多いと思います。
実は、前にも記事にしましたように観音様は特別な存在です。

もともと、「正法明如来」という名の如来様です。
仏の姿では、この現世に現れることは出来ません。
ですから、わざわざこの汚れた現世にも出てこれる菩薩様の姿に身を落として、出てこられた特殊な菩薩様です。

もちろん、次生には「光明功徳仏」という如来様になられることが決まっています。
元の如来さまのお姿に戻られます。
ですから、如来さまのお力もある特殊な菩薩様です。

これを知ったとき納得しました。
その特別な菩薩様には、不思議な力をお持ちです。
その力を、「南無観世音菩薩」と一心に唱えれば、その不思議なお力で私たちを救って下さいます。

「えー、そんな?」
いえいえ真実です。
本当に真実なのです。
ですから奇跡の経典なのです。

人の心の「三毒」を消し去って下さいます。
心のイライラ虫も、消し去ることが出来ます。
弱い自分の愚痴も抑えることが出来ます。
不埒な欲望も抑えることが出来ます。

絶体絶命の時に、「南無観世音菩薩」と唱えます。
まるでモーゼの十戒の如く、海が割れ、閉ざされた道が開きます。
嘘ではありません。
幾多といえ、助けても貰いました。
実体験としても言えます。

真実と言っても、本当に困ったとき、その口から「観音様」の名が出るのは、仏縁です。
知らないと救いの手は見えません。
先日の本の記事でも紹介しましたよね。
自己体験されることをお薦めします。

くれぐれも冗談めかしに、走っている車の前に飛び出しても、命は救って下さいませんよ。
本当に、心の底から、救いの手を求めないと奇跡は起きないものです。
信心の強さに因ります。

バラさんが、自分のデスクに持って帰り、仕事の合間を見つけては、この本を読んでいましたね。
仕事の終わりに、「借りておいていい?」との問いに、「もちろん、どうぞ」ですね。

次の日も、暇を潰す様に、じっと読んでましたね。
最初から最後まで、二日かかって読み切っておいでです。
何度も、前後させて趨勢して読み返し読み返し、読んでおられたのが解ります。

三毒は取りました?」
「これでは取れないなぁ」
と言いながら、「南無観世音菩薩」と冗談めかしに言っておられましたが、この日だけでも、この「南無観世音菩薩」はバラさんの口から、5度ほど聴きましたね。

それが最大の奇跡です。
多分、今の今まで「南無観世音菩薩」と口にされたことはなかったはずです。
それが、私の聴いただけでも5回も来ました。

バラさん曰く、何十回も唱えたよって言ってましたね。
本読む度に、その観世音菩薩さまの文字を触れるわけですからね。
まさしく、心の持ちようです。

特定の宗教団体の布教活動ではありません。
心の中に、いつも観世音菩薩さまの存在を置いておくことが、最大の危機に直面した時に、救いの手を呼べます。
この娑婆世界においでです。

ありがたい仏縁を頂いたと喜んでいます。
一冊の本を読んだ位でとお思いでしょうが、気持ちの持ちようはだいぶと変わられたと思います。
知ると知らないのとでは、大違いです。
バラさんにも、観世音菩薩さまの仏縁が出来たのは事実です。
後は、そのいい仏縁が人生の縁に繋がることを祈ります。

ありがたいです。
ありがたいと感謝の気持ちを忘れません。
寝る前に、仕事終わりに、手を合わせます。

今日も一日、私もバラさんも世の中も、平穏無事に過ごせるように、祈るばかりです。

最後まで、奇跡の話に付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。