''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

古書をめぐっての難解な「持地菩薩」の解釈 より。

今日は、成人式にも関わらず、雨や雪の天候になりました。
怪我のないように願いたいです。

 

仏の世界で願うとは、 一切衆生を救うことにあると思います。
私のような凡夫が、そんな大それたことを、心の片隅に思い止めていたとしても、それを口にするには、あまりにも大胆なことです。

 

しかし、安穏な暮らしをすると言うことは、世の中が平穏でなければなりません。
誰もが、欲を持たず、心の三毒を廃すれば、それで平和になるような気もします。

 

そんな事を論じても、空虚ですが、少し気持ちの持ち様を変えるだけで、多くの衆生は救われます。
それを念じて、私もブログで仏の世界を凡夫なりに、書き記したいです。
正月から、格調高いブログにしないいけません。

 

と言いながら、美味いものを食らい、酒を呑んで、AKB48を見ています。
凡夫そのものです。
しかし、学びは必要です。
ネタも仕入ないといけません。
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先日、寺町の古本屋で一冊の古書を見つけて、購入です。
妙法蓮華経大意 日蓮聖人御偈 坤之巻」と言う書物です。
野崎圓成と言う方が、昭和16年8月1日に手書きされた和綴じの書物です。

 

インターネットで調べても、どういうご仁か不明です。
ただ、坤之巻と言うからには、乾之巻もあるということですね。

 

易の卦の乾と坤は、天と地、陰と陽、妙と法、一対になっていると言う事ですね。
すでに何度が斜め読みしました。
すべてに亘り、筆で手書きされてあり、私のような凡夫の為に、読みのルビもふってあります。
書道の本のようです。

 

その中に、俗に言う観音教、観世音菩薩普門品二十五の引用の中、持地菩薩さんという菩薩様の名があり、解説が入っています。
観音様の神通力やその名前の由来が記させれている有名なお教ですね。

 

お釈迦様が、無尽意菩薩様に、観音様のことを解説されている話です。
そのそばで、話を聞かれていたのが、地蔵菩薩様です。
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つまり、持地菩薩さんが、地蔵菩薩様の別名であると解説させていました。
これは知らなかったです。

 

インターネットで調べても、そんなことはどこにも記されていません。
もしかすれば、間違いか思っている最中、昨日のツイン21で行われていた古本フェアーで、偶然手にした『聖典講義 観音経禮讃』と言う本の中に、同じ解説がされてありました。

 

偶然の偶然です。
いえ、これは仏さまが、それが正しいと言うまさに証明であったと感じます。
昼近く、飲み物欲しさに、家を出て一分ほどの距離の自販機で、飲み物購入です。

 

もちろん、路地を出たところに、お地蔵さまがあります。
手を合わせていると、この厚い曇り空の中から、太陽が覗いています。
天には、その一点だけです。

 

よくあるんです。
まさに、多宝仏様の天の証明です。
ありがたいことです。

 

持地菩薩様が、地蔵菩薩様であると言うことは、日蓮宗では、当然の事なのでしょうかね。
観音様も、観自在菩薩様という名もあります。
訳の上では、観自在菩薩様の方が、より意味が伝わるとも聞きます。
どちらにしても、地蔵菩薩様も観音菩薩様も、私の生活の中には不可欠な存在です。

 

町内のお地蔵さまに手を合わせる時も、観音様の名を一緒に唱えています。
真言のように、「か、か、か」とお笑いに成らないで下さい。
必ず、願い成就して下さいますよ。ソワカ

 

多くを念じないで、平穏無事であって欲しいと念じています。
ありがたいことです。

 

偶然のことが、いろいろあります。
著者の野崎さんとは、一体どういうお方なのか不明です。
書は人柄を表わします。

 

さぞや徳のある僧侶さまでしょうね。
いろいろ読み進めては、何度か疑問になれば、ネットで検索しています。

 

やはり、何事も勉強です。
長安への道も、一日にしてならずです。
歩みは、少しでも前に前に、進めます。
ありがたい仏縁です。

 

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたく暮らさせて頂いています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、抹香くさい古書の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。