小生、播州の産にして、梨と言えば、二十世紀を食べることが多かったですね。
何かこのフレーズは、落語「たらちね」の中で、嫁が自己紹介する際に、「自らことの姓名は、父は元京都の産にして、姓は安藤、名は慶三、字を五光。母は千代女と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴を夢見て妾を孕めるが故、垂乳根の胎内を出でしときは鶴女。鶴女と申せしが、それは幼名、成長の後これを改め、清女と申し侍るなり」を台詞を思い出します。
33歳の時と聞かば、やはり、観音様のご加護があったように思います。
わが家も、夫婦して50歳43歳で、観音様のご縁で、わが家に娘がやって来ました。
この世の800グラム未満で生を受けて、生まれた時の身長33cmと観音様のご加護を受けたとのご証明を受けた事になります。
仏の妙法華経の世界でも、天の証明、地の証明、そして、人の証明、3つの証明があると聞きます。
明らかに、観音様のご加護を受けていると感じます。
共に初婚・晩婚の49歳42歳で夫婦になって、数ヶ月で子供が授かりました。
あわてんぼうな娘は、予定日より3ヶ月近く早く生まれてくれました。
800グラム未満の超未熟児であるのも、そうした状況での出生になりましたね。
観音様には、特殊な神通力があるんですよね。
観音経に拠れば、男の子が欲しいとお願いすると、男の子が、その逆なら女の子が授かります。
人の生き死に関わる特殊任務がある菩薩様です。
もともと、如来様です。
それを、この人間世界にこれるように、菩薩の身になって、特殊任務を受けておられます。
観音様は、娑婆世界に遊ぶと妙法華経の、普門品25にありますよね。
この世に浮遊していると言うか、一心に名を唱えて念じて、助けに来てくださいます。
マグマ大使みたいですね。(ちょっと古いです)
困った時に、救いの手を出して下さいます。
何度救われたか分からない位に、助けて貰いました。
迷信ではありません。
晩婚夫婦に、子供を授けて欲しいと念じれば、娘を授けて下さいました。
偶然の偶然は、必然です。
夫婦に、子供のありなしは、人生観が変わります。
もうすでに、子供の居ない暮らしに戻ることは出来ません。
晩婚ですから、子供の居ない暮らしをあったはずです。
人並みに、人の親にならせて貰いました。
例えば、子供が居るので、西松屋に子供服や必要なモノを購入するために、店内の入ることもなかったのも事実です。
50歳を過ぎて、保育園にも毎日送り迎えです。
小学校の娘との暮らしは、私にとって貴重です。
ありなしと言えば、この時期、梨です。
食欲の秋なら、梨も入ります。
料理の世界では、「なし」と言わずに、「有りの実」です。
昔、料理屋さんでバイトしていたら、白板のメニュー表に、「水菓子 なし」とあったのを見た仲居さんが、「今日は、水菓子はありません」とお客さんに説明して、お帰りになりました。
配膳室に取り残された水菓子の「有りの実」が、5つそのままです。
みんなの頭の上に、「???」が浮かんだのが見えた気がしました。
担当の仲居さんが、「水菓子は、『なし』でしたよね」って、言って、初めて発覚してしまった料理屋さんの黒歴史です。
皆さんが凍り付いた寒々しい一瞬でしたね。
嘘のような本当の話です。
やはり、「なし」でなく「有りの実」です。
間違いを防ぎます。 (間違う奴居らんと思うけど、居るんですよ)
わが家で、二十世紀と幸水の2種の有りの実食べ比べしてみました。
奥の大きな方が、二十世紀で、手前の小ぶりな方が、幸水でしたね。
この時点で、2種の有りの実を食べ比べは、二十世紀の方がいい出来でしたね。
少し時期が早かったとも思います。
どちらも、個性的で美味いと思います。
ただ、私の口には食べなれた二十世紀が味がよく合いますね。
最高のスパイスは、思い出だったのかもしれません。
梨狩りもよく行きましたね。
もちろん、子供の頃ですから、鳥取方面まで車で行った記憶が鮮明です。
ありがたい子供の頃の幸せな記憶です。
自分の娘にも、そうした幸せな記憶を残してやりたいと思います。
ありがたいです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。