''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

森永製菓「DARS」 期間限定「ダース<香るメロン>」を食べてみました

スーパーに買い物に行った時、8歳児ゆうゆうに、1つ菓子を買う事が多いです。
嫁手作りのケーキやゼリーやフルーツも用意してくれているので、1つあけば問題ありません。


今回は、何にするのかと聞くと、これと言ったのが、森永製菓「DARS」 期間限定「ダース<香るメロン>」でした。

確かにそそるパッケージです。
ウイスキーがあれば、私もチョコを分けて貰います。
なければないで、それも致し方ないです。
でも、その香りに誘われて、一つ口中に投じました。
「なんじゃ、こりゃ」って感じです。
甘さもそうですが、香りが香るメロンって感じです。


子供が居ればこそ、こんな限定のチョコ食べますが、独り身なら、普通のチョコを買うと思います。
もちろん、ウイスキーのおつまみ用です。


子供が居ればこそ、西松屋とか子供服の売っている店舗にも入ります。
不思議な感覚です。
一応、娘も一緒だと不審者通報されません。
散歩に行っても、手を繋いで歩いていても、誘拐犯だと思われません。
子供の存在は、何か特別ですね。
不思議な感じがします。

 

一人娘だから特別な感じがするのか、これが子供の3人居ても、同様に感じるのか、不明です。
娘の小学校の同級生なら、2~3人の兄弟が多いです。
私の周りには、出生率「1.20」の実感はしませんね。
もちろん、小学校ですから、子供が居ることが前提なので、そうかもしれません。
世の中には、不妊治療とかしても、子供が欲しくて授からない夫婦も居られます。


私が思うに、人の出生には、医療や科学の問題だけでなく、何か違う力が関与していると思います。
私の場合には、仏さまの話ですが、人によって信じるモノも違いますが、やはり、神や仏の存在、つまり宗教の存在が大きいと思います。


仏教では、人の生き死には、仏や菩薩の関与があります。
迷信だと思う方は、いくら話しても分かり合えませんが、不思議な事が多いです。
人の生き死に関係する仏や菩薩の中に、観音様も居られます。
法華経の普門品25と言えば、俗に「観音経」と呼ばれる経です。


この中に、子供を欲することに対して、この経の不思議な功徳が書いてあります。
「男の子」を望めば、「女の子」を望めばと、それぞれについて説かれています。
迷信だと思う方は、それより先には進めませんからね。


観音様を信じて、名を唱えれば、難から救って下さいます。
不思議だけれど、私の体得した話でもあります。
嫁も同じです。


結婚して数ヶ月して、「来ない」と言えば、「できたんや」と、即座に「それはない」って否定していたけれど、その週に「検査キット」を買って来た、「えー」と驚くばかりの初婚43歳の嫁でした。
嫁も不思議な事を体得しています。
雨が降りそうな天気の中、我が家に着いた途端に、豪雨だったこともありましたし、免許証を無くして紛失届を明日出そうとして、翌日の朝に再度探してみると、食器棚の下にあるのは発見して、事なきを得たこともありました。


娘も3ヶ月も早くこの世に生まれて、800gにも満たなかったけれど、きちんと観音様の見える御印が娘にはありました。
間違いないと言う事です。


天の証明がありましたよ。
我が家に来るべきしてやって来た娘です。
娘には、何か困った事があったら、「観音様」の名を唱えるように言っています。
ここまで来れば、迷信でなく、確信です。


もっと多くの方に、この観音様の不思議を知って貰いたいです。
そう言う宗教団体にも、入信することもありません。
どこぞのお寺にお布施することもありません。

ただ夫婦して、観音様の存在を身近に感じる暮らしをするだけです。
お金もかからず、経験豊富な産婦人科医が、私たちの話を聞いて「えぇぇぇ」と言葉に詰まるほどでした。
どう見ても、10数年不妊治療を続けた結果の挙句に、やっと子供が授かったと思って居られた医師です。


今年の2月に結婚したばかりです。
この言葉に驚いて、指折る間がしっかりと感じられました。
返す言葉がなかったと思います。


奇蹟はあります。
観音さんの奇跡です。
観音様の名前の由来の音を観るとは、不思議な事です。
でも、私に言わせば、1万年に一人の天才の鳩摩羅什が、「観世音菩薩」と漢訳したのですから、間違いないです。
「観自在菩薩」でなく、「観世音菩薩」です。

 

私のブログにも書き記しています。

洋菓子 オーミヤ(Omiya) の頂き物 より。

 

玄奘三蔵訳の『般若心経』の「観自在菩薩」によると、サンスクリッド語による梵名の「アヴァローキテーシュヴァラ」(Avalokitaśvara)とは、ava(遍く)+lokita(見る、見た)+īśvara(自在者)という語から、観自在菩薩と訳されている事になります。

 

もう一つ、鳩摩羅什の訳『妙法蓮華経』では、観世音菩薩と訳されています。
こちらでは、「Avalokita-svara」となっており、これに沿えばavalokita(観)+ svara(音)
それは、「アヴァローキタ・スヴァラ」(Avalokita-svara)なら、スヴァラは「音」と言う意味らしいですから、ava(遍く)+lokita(見る、見た)+svara(音)という語から、「観世音菩薩」様と言うになります。(『観音経 奇蹟の経典』ひろさちや著 大蔵出版 参照)


鳩摩羅什は、王族ですから、写本でなく、原本に近いもので学んでいますので、誤字とか少ない物であったことが推測されます。
ですから、私のブログの中では、観音様は、「観世音菩薩」として捉えています。


観音様の力は、不思議な力だけれど、私達夫婦にとっては奇蹟の力です。
信じるモノは救われると言いましたが、奇蹟はあるんですよ。
お困りの方は、いろいろと参考にして貰えると、ありがたいです。

 

不要な金銭は、必要ありません。

夫婦して観音様の存在を近くに感じる暮らしをすると、更に医療の支援を得て、不妊治療の問題も解決できるかもしれません。
信じるモノこそ、救われると思っています。
ありがたいことです。


親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。               
ありがたいことです。             
             
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。               
ありがたいことです。               
               
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。               
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。               
ありがたいと感謝です。              
 
               
総索引 https://kantoshoue.hatenablog.com/entry/35343705