''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

やはり、京の「もみぢ」と言えば、東福寺より。

21日の日曜、弘法さんの東寺から、市バスに揺られて10分ほどで、大本山東福寺です。
いやはや、観光客の多いこと多いこと、やはり、もみぢの名所の一つですね。
大変大勢の方が、秋の京都の楽しみ方をご存知ですね。
昔CMで京都に行こうと銘打ったお寺の一つが、東福寺です。
花もみぢと言えば風情のある言葉です。

定家卿の和歌でも、有名な一節になっています。
「見渡せば 花も紅葉も なかりけれ 裏のとまやの 秋の夕暮れ」ご存知、秋の「三夕」の一つです。

美しさでは、パッと咲いて、パッと散る儚さを感じる分、桜の方がより赴きが深いです。
何か、人の人生とリンクする部分があると感じますね。
それに比べて、紅葉は独特の風情です。
もみぢだけでなく、もみぢの頃の秋の風情とリンクします。

この辺は、秋の方が物思う人間の心理と一致するのかもしれません。
何もない、漁師の使うような粗末な小屋で見る秋の夕暮れと来れば、一滴の涙も落ちなむでしょうね。

センチミリミリというような感じでしょうかね。
隣は、何をする人ぞ。

そんな選択の中で、桜の木を一切きり、もみぢを選択した寺が、この東福寺です。
それが為に、秋のもみぢと言えば、東福寺の名が上がります。
正しい選択であったとも言えます。
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この寺で、一番の見所は、外の道路にかかる木製の臥雲橋から眺める東福寺の風景です。
鬼平犯科帳』のエンディングにジプシーキングが奏でる音楽をバックに、この東福寺の臥雲橋から眺める風景が登場します。
一度は見たことのある風景です。

橋の下には深い渓谷から流れる川が流れています。
結構深いですね。
この冷たい山からの水と空気が、もみぢの色合いを強く濃淡を付けて、もみぢの発色がいいんです。
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このお寺の白壁ともみぢの紅白の加減が、何ともいいんです。
絵になる風景画が、ここかしこにあります。

休日の秋の夕暮れをこの東福寺のもみぢを見て、趣深い侘び寂びの世界に見に投じるのは、大変精神世界にはいいですね。
至福の時間かもしれません。

カシャカシャと、一眼レフのデジカメの音がしています。
同行カメラマンが写真を撮っています。
それも楽しみの一つです。
家に帰って大きなモニターで写真を確認すると、また実際に見た紅葉とは違う世界を感じます。
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目で見た赤と写真で見た赤、微妙に違いますよね。
その場にいた雰囲気も大きく影響します。
少し肌冷たくなった秋の夕暮れの風が、ぐっと秋の楽しませてくれます。
ライブ感ですね。

ありがたい時間です。
ありがたい至福の時間です。
ありがとうさんと、感謝の気持ちでいっぱいです。

これも仏縁でもあります。
日頃の心の三毒も失せます。

東福寺の見所は多くあります。
もみぢばかりが東福寺のよさではありません。
少し、紹介もしてみたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、もみぢ三昧の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。