''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

大きなツリーの下に立って思うことより。

今日は、24日クリスマスイブですね。
京都風に言うなら、宵山ですね。
キリスト教徒なら、とても大切な記念日ですからね。

家の近くにも教会があります。
そこでは、飾り付けが綺麗にされています。
隣の学校の写真は、先日このブログでも紹介しました。

教会のイルミネーションもとても綺麗です。
仕事帰りに通ります。
誰もいない独り占めのクリスマスですね。

今日の夕刻、教会の鐘がなりますね。
同じ頃は、お寺の鐘の音もなります。
伏見は、宗教の聖地でもありますからね。
一番有名所は、伏見稲荷大社です。

クリスマスも終われば、後は大晦日、正月とめまぐるしい程の人で近所が賑わいます。
家の前は、伏見稲荷大社への参道に続いています。
今日は、聖なる夜ですからね。
静に時間を過ごしたいです。

今日の休みを取られて、昨日から4連休されている方も多いと聞きます。
家族で過ごされる時間は何よりの幸福です。
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先日、伏見のメインストリートである大手筋に買い物に行きました。
中ほどに大きなクリスマスツリーが置かれています。
いろんな物が綺羅星の如く吊られています。

綺羅星、キラ、やはり吉良上野介殿ですね。
やはり今日も、赤穂の話に持って行きましょうね。
ちょっと強引ですね。

ツリー大きな大樹です。
赤穂浪士忠臣蔵も、今では歌舞伎や芝居の大きな大樹となっていますよね。
しかし、こんな大きな大樹もぐらぐらすることもあります。
ワンピース・白髭のおやじさんのように、グラグラの実の能力者なら分りますけどね。

大きな大樹でもぐらつきます。
大石内蔵助の心中は、常にぐらついていました。
元禄14年5月、内蔵助は、浅野大学のお家再興と、吉良上野介の処分の嘆願を行っています。
遠林寺の裕海(ゆうかい)という僧を江戸に遣わしています。

しかし、幕府の心を融解することは出来なかったようです。
(ここは、くすくす笑うところですね。とおるちゃん~)
同年7月頃には、心はぐらぐらしていたのではないかと私は思いますね。
急進派の堀部からは、いつか仇討ちをするのかとせっつかれています。

城明け渡しが、同年4月19日ですから、3ヶ月ほどの間に、気持ちが整理されずに、あくまでも、「お家再興」を主に、それでもダメなら、討ち入りもありという順序であったと推察出来ます。
しかし、お家再興はほとんど望みなしです。

それにも関わらず、まずはお家再興を主に望み、次の一手・討ち入りの用意も同時に進めていたというのが、正しい見方ではないかと思います。
幕府にも、筋を通すということに努めたと思います。
そうでないと自分達の筋も通せませんからね。

このクリスマスツリーのように、大きな大樹にするのにも、小さい小枝から、大樹に成長するわけです。

仏の世界も同じように感じます。
この薬を飲めば、悟りが開けるということはありません。
毎日、毎日、日常の中で、妙法華経の教えを学び、会得していくのです。

生活の中で、同じ繰り返しの中で、何かを悟ると感じています。
まずは、ありがたいと感謝するところからですね。
生きているのでなく、生かされていると実感することに、意味があるように思えます。

イライラ虫もウジウジ虫も、修行の妨げです。
心の三毒を廃し、心静に安穏に暮らせることを旨とします。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、動にもならない静なる話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。