''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

温かい一杯の粕汁より。

寒いですね。
風が冷たい京都伏見の地です。
朝方、そこにある疎水の水も凍っていました。
今、疎水の水は抜いてあります。

そこが見えています。
そんな底に貯まった水は、凍てて凍っています。
よほどに寒い気温です。

寒いです。
底冷えがひどいですね。
それでも、さすがに雪は降っていないです。
北陸や山陰なんかでは、大雪ですね。
気を付けて下さいね。
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こんな寒いなら、粕汁を作りたくなりました。
播州の実家から送ってもらった小芋、金時人参、コンニャク、豚肉を入れて粕汁です。
粕は、松竹梅の粕です。
伏見は造り酒屋が多いで、粕汁はいいのが入りますが、今日は松竹梅の酒かすを使用です。

出汁をたっぷり効かせ、旨味を一杯の粕汁に閉じ込めます。
もちろん、青ネギは必要です。
それにイチラーですから、一味唐辛子をフリフリしたね。
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一杯の粕汁大変美味いです。
自我自賛です。
これに合うのはご飯モノです。

鰻の巻寿司の差し入れがありました。
お皿一面に平に盛ったみたいです。
一杯ありますね。
先週のアナゴと違い、鰻の巻寿司もうまいですね。
ありがとさんです。

今回は、キュウリが入っています。
「うん、うん」
先週もうまかったですが、今週もなかなかの上出来です。
キュウリが入っているなら、粕汁の粕も「黄桜」にすべきでしたでしようかね。

♪カッパッパ カッパッパ~
黄桜のCMが懐かしいです。
何とも色っぽいカッパの絵です。

カッパも妖怪なんでしようかね。
昔はあちらこちらに居たような伝承があります。
真実の程は判りません。

昔の「探偵ナイトスクープ」に、カッパを見たと言ったおじいさんが登場したことがありましたね。
いつもその場所に来て、あちらこちらから、遠野観光で見えた方と「河童淵」でお話しする有名なおじいさんです。

阿部与市さんでしたね。
2004年2月18日この世を去られて、河童の国に行かれたのでしたね。
子供の頃に河童を見たということが、実は真実でないことを悔いておられたと聞いたことがあります。

その為にも、河童の伝承を絶やすことが無い様に、毎日河童淵に行っては、多くの方に河童の話をされていたと何かで読んだことがあります。

「お兄さん、何処からさ、おいてなりました?」
例えば、「大阪」と言うと。
「大阪さには、大阪城ある。通天閣ある。にもかかわらずこんなヘンなとこさ来て入れてありがとさんす」

こんな言葉で、遠野の河童淵に来てくれたことに感謝されましたね。
日本中どこでも、地方の話を盛り込んで、おしゃべりされていましたね。

子供の頃の記憶には、今考えると明らかに間違いもあります。
河童でなく、カワウソだったとしても、河童という不思議な魅力があったのかもしれません。
綺麗な川にしか、河童は住めません。
現代社会に対する環境問題の警鐘をならす出来事だとも言えます。

河童がいるか居ないのかは不明です。
過去に居た動物なのか、それとも妖怪のような不思議な存在なのか、それでも現代まで、河童として日本人の心の中に住着いていることに違いないです。
郷愁を誘うものの一つに違いないです。

粕汁の粕も、日本酒の副産物です。
捨ててしまえば、ただのごみです。
それでも、それを捨てずに美味しいものに利用するのは、日本人の美徳です。

それを美味いと食らう奴がいる。(私です)
一杯の粕汁、至福の温かさです。
うまいですね。
日本人のDNAの中にある食文化と、伝承の民話の中にあるのは、同じ流れです。

日本人とて、ありがたいと感じます。
柳田国男氏も私と同じ播州の生まれです。
同郷人として、誇りですよね。
遠野は、単なる遠野でなく、日本のある至る所の「ふるさと」なんですよね。

何処にでも川があり、山があり、里があった。
日本人の心もそこにあったわけですね。
親から子、またその子から、孫へと伝承される話であったわけです。

変わらない日本の原風景がありました。
それが今では、せちがない世の中ですね。
この先がよりいっそう不安になりますね。

いろんな世代の方が、いろんなことを書き記す。
現代のブログもいいものもありますね。
それも伝承ではないかと思います。

「和を以って尊ぶ」という和の心、それは仏の世界に通じています。
ありがたい仏縁と繋がっています。
河童と聞くと、このカッパのおじいさんのことを思い出します。
いい話と、一杯の温かい粕汁、共に私の心を温かくしてくれます。
ありがとさんです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈ります。

最後まで、私のカスの話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。