''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

日曜日の具たくさんシチューと手作りパンの盛合せより。

今日の朝は冷えますね。
痛めていた首と肩が痛みます。
早速、朝に病院のマッサージを受けて来たところです。

年ですね。
そんな言葉が頭をよぎります。
この先、年老いたらあたこちが傷むのでしょうね。
痛みに耐えながら、生きていくも人の定めと思い、病と上手に付き合わないといけません。

私は痛風患者です。
痛風も、一生治らない病気と覚悟しています。
発作を起こさなければ、完治しているのと変りません。

日常の生活に気を付けて、暮らさせてもらうと確信しています。
ありがたいことです。
普通に暮らせることが一番の幸せです。

仕事があって、倹しいながらも日々暮らせていけることが、日常の幸せです。
自分の分にあった暮らしが営めることが、ありがたいです。

上を見ても、下を見てもキリがないです。
自分を持つということが、何より大切ではないかと思いますね。

先日の日曜日、ネコさんが荷物を持って来られました。
「ピンポーン!!」(貧家に呼び鈴はありませんので、イメージの音です)
手作りパンと具だくさんのシチューのデリバリですね。
それに録画をお願いしていたDVDも梱包されていました。
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早速、昼ごはんに頂きました。
白菜、ベーコン、人参、タマネギ、ピーマンと具たくさんのシチューです。
温かくて美味いですね。
白菜とベーコンの味がよく出ています。

私の好物です。
温まりますね。
もとろん、イチラーですから、一味唐辛子もフリフリしています。
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一口大の丸い手作りパンも、オーブンで温めました。
ちょっと色付き過ぎの感もあります。
こちらも具沢山です。

中には、燻製のベーコンとタマネギ、ピーマンがいっぱい入っています。
なかなか美味いですね。
食べよい大きさが、シチューとよく合います。

お皿には、いつものように3つ盛り合わせます。
いつものように、皿を空に見立てます。
過去世、現世、来世の三つの世界がそこにはあります。
輪廻しているわけです。

仮の「空(くう)」は、私のかんとうしょうえの造語です。
法華経なら、「義空(ぎくう)」と言う言葉になるでしようかね。
「行者、第一義空を説きたまふを聞きたてまつらん。行者聞き己(おわ)って心恐怖せず。時に応じて即ち菩薩の正位に入らん」とあります。

義空の話を聞いても、行者は驚かず恐怖しなかったとありますからね。
仏の世界は、有無の諸法の相を見ざる處(処)なのかもしれません。
この世に生きるも、有無の相です。

今見えているだけですね。
死ねば見えない世界に居るだけです。
仏の世界に住しています。

次の輪廻の先に出現するのも待つだけですね。
現世や過去世の因縁が縁起として、来世に影響させます。
本質的な魂は、残りますね。
こういう意味では、仏の住人としては、不老不死ですからね。

そう思うと、この現世も義空、私的には「仮の空」かもしれません。
私の思う仮の空と経典にある義空が同一のものかは、まだまだ未熟ゆえ判別できません。

仏の智慧は、計り知れないほど深いですからね。
簡単に解明出来るものではありません。

もちろん、私には一生解明は出来ないと思っています。
少しでも、経典にある文言を日常の生活の中で見つけたいです。

心の三毒を廃し、静に安穏に暮らせることを祈って、日々暮らしていきます。
イライラ虫もウジヴシ虫も、毎日沸いてきます。
それでも、それも柔和忍辱の衣を身にまとい、一切法空という座に座って、心穏やかに過ごせるように努めます。

現世の修行は、いい縁を結び、悪い縁を断ち切ることだと思っています。
無用なトラブルには、関わりあいません。
それが悪い縁を呼びます。

仏の縁は、こうした悪い縁を回避させてくれる方法も教えてくださると思っています。
近寄らないに越したことはありません。

ありがたい仏縁を頂いています。
感謝しています。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、具沢山のシチューを食う(空)話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。