''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

伏見 疎水の桜より。

今日は、朝から晴天でしたね。
持って来いのお花見日和でした。
もちろん、桜を見に行きました。
その話は明日にして、近くの疎水の桜も満開です。
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これが普段の疎水の桜です。
綺麗です。
これでもかと言うくらいに咲いています。
待っていた春を、桜の木が謳歌しています。

誰のためでもなく、自分が桜としての生きる姿が、そこにあります。
生き生きとしている姿に元気をもらいます。
普段着の姿が、これほど素敵なことはありません。
これも日常です。

ありがたいことです。
こんな幸せな日常があります。
それも、無料で楽しめます。
遠くに行く必要もないですね。

それでも、少し酒宴を催すような気分で、過ごす桜もあります。
それは明日の記事にとって置きます。

桜の花を心ゆきまで、自分時(じぶんどき)に合わせて、楽しみます。
時間の問題ではありません。
この空間に、自分も桜も、存在しています。

来週なら、見ることが出来ない非日常です。
一年を通して、たった1週間ほどの楽しみです。
その中に自分も、時間や空間を共有しています。

来年もこうして、桜が見られるのか、その定めは分りません。
東北大震災のように、明日のことは分らないと、痛感します。
老いも若きも関係ないですね。

何かを信じます。
何かを考えさせられます。
生きる意味とは、やはり何かの力で、生かされていると実感します。
自分の意思でなく、天命を感じますね。

ちらほらと、桜も散っています。
桜吹雪の中、何を思うのでしょうね。
人として生きるとは、一体何なのか、花や月は、時にして何かを考えされますね。

疎水の水は、澱むことなく流れています。
人の人生も、一瞬たりとも止まることなく、流れています。
その流れの淵に、花や月があるだけなんですよね。
散り行き桜も、ひとしおです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に時間を過ごすことが出来ました。
ありがたい仏縁に感謝です。
静かに手を合わせます。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、疎水の水のように、澱みのない話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。