''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

三栖の閘門と桜の舞い散る花見の宴より。

今日も朝から晴天の予感です。
日差しが、我が家の玄関にも入ってきます。
昨日もいい天気でしたね。

 

昨日は、花見に出かけました。
場所は、伏見港辺りです。
伏見にも港があります。
えーって、思われますよね。

 

伏見は、京への入り口、そして、水都大坂への要衝の地です。
電車や車が発達する前は、船で行き来をしていました。
その面影が今でも残っています。

 

バス停で、インクラインいうのがあります。
蹴上なんかは有名ですが、伏見にももちろんありました。
疎水を使って、琵琶湖から京都、そして、伏見から大坂へと続いていました。
そんな訳で、伏見にも伏見港があります。

 

坂本龍馬も、伏見も地に何度も足を運び、船にも乗っています。
その船着場近くにあったのが、寺田屋ですね。
今の伏見港は、伏見港公園として、憩いの場所になっています。
その伏見港へ、十石舟や三十石舟が、疎水を観光用に走っています。

 

疎水沿いに桜が咲いています。
8分位から、満開ですね。
ゆっくり疎水沿いの桜の道を歩みます。
天気も良かったですし、桜も綺麗です。
気分よく過ごせました。

 

歩くこと30分ほどで、伏見港辺りにやって来ました。
この辺りは、バーベーキューをやられている家族連れやお仲間が多いですね。
焼肉の香りでいっぱいです。
ビールが呑みたくなります。

 

伏見港の一番奥に、三栖閘門があります。
大阪にも、毛馬の閘門があったですよね。
高さの違う水路に、船が入る仕切りの部屋を作って、水位を調整して、船のエレベーターみたいに、船を移動させる装置です。

 

ここ伏見にもあるんですね。
今は使うことは無いでしょうがね。
宇治川の水位が、疎水の水位と、まったく違っています。
イメージ 1

この辺りでお花見です。
もちろん、シートを敷いて、その上で酒宴です。
この日は、持ち寄りです。
同行カメラマンが、巻き寿司を作ってくれました。
イメージ 2

朱塗りの器に盛り付けて、そこに桜の花びらが、ちらほら舞い散っています。
円に盛り付けます。
これまた、私の好物です。
美味いです。
イメージ 3

私は、有り合せの料理で、こちらも朱塗りの器に盛り付けました。
家で詰めて来ました。
写真では、見にくいですが、鰆(さわら)の西京漬け、三ツ星レストランのマジックソルトの鳥の塩焼き、付け合せのしし唐、ネギ入りの玉子焼き、竹輪キュウリ、キュウリのゆずもろみ添え、すじコン入りのお好み仕立てと、さっと盛った男料理です。

 

お酒も用意しています。
これにて、桜の下での酒宴です。
私にとって、これほどの贅沢はありません。
ありがたいです。
料理もなかなかいけます。(自画自賛です)

 

突然風が吹いて、桜が舞い散ります。
桜吹雪です。(柴田淳さんの世界です)
遠山の金さんなら、一番いいシーンになります。
桜の彫り物でなく、顔で分ると思いますけどね。
それは、言ってはいけない約束事なんですよね。

 

この世にもいろいろな約束事があります。
悲しいかな、人はいつか死ぬと言うことです。
間違いのない事実です。

 

それを言っちゃダメダメ。
人の人生をどう生きる、それを充実したものにすることが、必要です。
葉隠」みたいに、生きるとは、死ぬことと見つけたりと言っても、そんなことではありません。

 

仏法世界なら、輪廻して来世もあります。
私たちは、輪廻の輪の中に、存在してます。
いい縁を結び、悪い縁を断ち切ることが、現世の修行です。

 

ろくに修行しないで死んだら、また次はどんな来世になるやら、不安です。
ですから、この世は、仮の「空」と感じながらも、しっかりと生きないといけないです。
生きているわけでなく、生かされているからです。

 

辛いことも嫌なことも、これまた仮の「空」です。
楽しいことも嬉しいことも、これまた仮の「空」です。
なら、楽しく過ごせるように努める必要があります。

 

特別な出来事はありません。
日常の中に、喜びや嬉しさを見つけるようにするだけです。
日々の暮らしの中にこそ、長安に通じる道があると信じます。
道は近きにありです。

 

花を見て、月を見て、自然と共に暮らす。
自分の分に合った生活があるだけです。
桜の下でシートを敷いて、花見の宴をすることを楽しめる生活に感謝しています。
ありがたい仏縁に繋がっていることにも、感謝です。

 

今日も一日、私も世の中も平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、ハラハラ散り行き桜の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。