''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

疎水の桜、まだまだ蕾ですよ より。

今日から、四月ですね。
新しい生活も始まる方も多いでしょうね。
学生さんは新しい学期が始まります。

去年入学したピカピカの一年生も、二年生です。
そして、入学する新しい一年生を迎える立場に変わるわけです。
立場が変われば、またいろんなモノが見えて来ると思います。

変わる人に対して、花は春が来たら、誰に教わるわけでもなく、花を咲かせます。
今年の疎水の桜も、鑑賞の用意が進んでいます。
近くの疎水の桜は有名となったので、ライトアップの用意がされています。

電気の行灯が、疎水の足元を照らします。
桜には、ライトが当たります。
なかなかきれいです。
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でも、桜は今からです。
昨日の桜です。
蕾が膨らみかけています。
全体が、この蕾の状態です。

暖かいなら、今週週末くらいから、咲きますね。
来週の半ばが、マックスかもしれません。
もしかしたら、暖かいなら、今週の日曜日か、月曜日くらいが見頃かもしれません。

弁当用意して、桜の下でささやかな宴会です。
春が来たという感じです。
ありがたいことです。

今年も、桜に会えた。
今の流行なら、「会いたかった」でしょうかね。
あっちゃんの卒業に、週末この話題が多かったですね。
秋元康最後の切り札を切った、などとも書かれていますね。

AKB48も、桜で言えば、今が満開です。
盛りを過ぎても、まだまだきれいですが、やはり最高の状態で、卒業ならインパクトはあります。
アイドル伝説ですね。
後世にも、残ることになりそうです。

AKB48ならぬ、AKO47なら、耐えて耐えて最後に本懐ですからね。
タイミングも、これ以上ない状況でしたからね。
後世にも芝居や映画にもなりました。
300年以上経った今でも、リメイクされ続ける、まさに「卒業」ですからね。
やるぞ、やるぞと言わないところが、意外性があって、驚きもあっりましたからね。

何事も内密にするが慣用です。
他言無用が良かったでしょうね。
AKB48も、メンバーすら知らない驚きの表情でしたからね。(大島さんの表情も)
秋元康さんの策に落ちました。

それにしても、メンバーの中、センターを演じるのは、すごいことです。
ストレスも強かったと思います。

でも、大所帯だから出来たことも、一人になると、逆にセンターではなくなります。
一人だから、センターかと言えば、違います。
センターという概念すら、無くなります。

人生において、皆さん一人一人か「主人公」です。
天のカメラは、貴方を芯にしてテープが回っています。
舞台では脇役であって、脇役を演じているという役の「主人公」です。

桜の蕾も、きれいです。
それを桜は何も言いません。
それを満開になった時、きれいと言うのか、それまでの過程をきれいと言うのか、人それぞれです。

人に「きれいだね」と言われる為に、桜は咲いていません。
春が来たから、桜の本分として、咲いているだけです。
春の息吹をいっぱい吸って、桜の本分が光ります。

一つ一つの花びらが、きれいであって、桜の木がきれいです。
そして、その桜の木が集まって、よりいっそう美しくなります。

AKB48も一緒です。
センターのあっちゃんだけで、AKB48があるのではありません。
その踊っている全員が、AKB48なんですからね。
そういう所謂集団芸です。

関西で言うなら、吉本新喜劇と同じです。
誰が面白いことを言うと、舞台全員でコケる。
まるで、それを言った人が、面白いことを言ったみたいに写ります。

後ろの全員が、同時にコケるから、面白いんです。
まさしく集団芸です。

アメリカのテレビ番組なら、MCが面白いジョークを言うと、場内の笑い声が入ります。
その笑い声だけを入れると、より面白いと感じる。
むしろ、ここが笑いですよと、仕込まれているわけです。

私たちが子供だった頃、土曜日は半ドンですから、昼ごはんは家で食べていました。(半ドン、死語ですね)
ちょうど、吉本新喜劇の時間です。
それで、関西人は、笑いの壷を英才教育されるわけです。

ここが、笑いなんですとね。
すべてが、芝居調、漫才調です。

誰々が言っていたというような「間接話法」でなく、その時の会話をその場で演ずる「直接話法」ですからね。
面白く聞こえます。
そして、日常でも、自分も一緒に、吉本新喜劇を演じます。
舞台も観客も、すべてが一緒になって、より相乗効果が上がります。

あっちゃんが抜けても、AKB48も変わらずAKB48ですよ。
AKB47にはなりません。
AKO47も、浅野(同じく、こっちも「あっちゃん」)が先に行かれてしまったとて、寺坂(てっちゃん、きっちゃん)が、一人抜けても、AKO46には、なりませんでした。

卒業されても、新しい舞台で活躍して欲しいです。
残ったメンバーと新しく加入した2人には、新しいAKB48であって欲しいです。

それも楽しみです。
このサプライズに、動揺していけませんね。
また、新しいサプライを、ファンを楽しみにしていると思います。

心を留めない事です。
桜も、瞬間瞬間も楽しむものです。
桜が散り始めても、名残惜しいと、感じないで、その散り行く桜も切きれいと感じ、また来年が待ち遠しいと思えることが必要です。

物事に執着しないことが、大切です。
「前に前に、ポッポー」(手も添えてね)と前を見るだけです。
執着すれば、ストレスが溜まります。
欲を捨てることかも知れません。

花の盛りが短いから、余計に散り行く桜が、人の人生に喩えられます。
桜だけが花ではないです。
野に、咲く花もきれいです。

そう花が咲いている季節は、毎日が花見です。
何か得した気がします。

日々の暮らしの中に、ささやかな楽しみを見つけることが、大切です。
日々の暮らしの中に、幸せは落ちています。
拾うか、拾わないか、だけです。

私はありがたい仏縁のお陰で、そう感じます。
苦しい時も、辛い時も、何か「よかった」を見つけたいです。
幸せに「会いたかった」と、自分から会いに行きましたよう。
ここにも、あそこにも、見える気がします。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、「桜の花びらたち」の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼を申し上げます。