''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

伏見稲荷の田植祭 間近です より。

朝からどんよりとした天気です。
5月のいよいよ下旬となりました。
あれよこれよと、もうすぐ6月です。

播州の田舎では、そろそろ田植えの準備もされていることでししょうね。
今では機械で植えますので、箱にモミを植え、苗を生長させます。
大きさもある程度大きな苗にしないと、機械では植えられません。

子供の頃は、まだそんな機械も見当たらず、人が手で植えていました。
小学生に2年生頃には、ちらほら機械植えも定着していました。
技術的に凄い進歩です。
米を収穫するには、八十八の手順があるとも言います。
米という字も、崩せば「八十八」となりますからね。

今でも手で植えることがあります。
それは、儀式ですね。
皇居にも、天皇陛下が稲をお育てになる水田があると聞きます。
テレビで、少しだけ、お手植えをされている映像を見たことがあります。
お手植えの稲と言うのですから、食用でなく神前にお供えされるものだと思いますね。
もしかしたら、お召し上がるのかもしれませんけどね。

手植えの儀式と言えは、家の近くの伏見稲荷大社でも、田植祭が6月10日あると言います。
境内の中に、その田植えの水田があります。
ちょうど、池があります。
その上に、神事用の水田があります。
ここで、儀式の田植えがあるわけです。
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伏見稲荷の本殿には、何やら天皇家や皇族の家々から、ご奉納があるようです。
さすがに、天皇陛下の御名を見るとびっくりします。
秋篠宮家、常陸宮家を始め、すべての宮家のものが並んでいます。

やはり、伏見稲荷と言えば、その格式の高さが分かりますね。
昔、太閤秀吉公が、母である大政所の病気平癒の祈祷をさせたことがあります。
そのご利益によるかは不明ですが、一時平癒されたことがあります。

神様と言うのは、すごいです。
その時、平癒祈祷の際、稲荷大社にご加増の約束をされたと聞きますが、大政所様の病気平癒、その嬉しさのあまり、その約束を忘れられてしまったとも聞きます。
伏見稲荷さんとして、何となく複雑な思いでしょうね。

伏見稲荷という山は、一種の霊山です。
東山三十六峰の最後が、この伏見稲荷の山と言うことになります。
大きな寺院は、この東山の連なる山々の麓にあります。
もちろん、比叡山から始まり、南禅寺知恩院清水寺、知積院、東福寺と、有名な寺院の名を上げたらキリがないです。

どこも京都観光の名所です。
伏見稲荷も観光客でいっぱいです。
外国人も多いです。
それ以上に修学旅行生が多いです。

大抵は、本殿から千本鳥居を感じられる二股になってる重軽石(おもかるいし)の辺りまで行かれることが多いです。
でも、稲荷山すべてに、神社が無数にあり、鳥居も無数にあります。
軽く一山回るに、何時間もかかります。
1日かけても、すべてを回ることは、不可能かもしれないです。

時間のある方は、見晴らしのいい四ツ辻辺りまで行かれるのが、限界でしょうね。
稲荷山を登ったと言う実感がします。
山の上にもお店があります。
もちろん名物は、お揚げさんの入ったきつねうどんに、いなり寿司です。

店の方も大変だと思われますが、秘密の車で行ける道があるんです。
大きな車では無理でしょうけどね。
お店で使う食材や飲み物は、車で運ばないと無理です。
もちろん、誰でも通行は出来ないです。

四ツ辻からの眺めは、いいです。
もう一つ、秘密の高台があり、そこからはもっといい景色が見えます。
時々、散歩がてら伺うこともあります。
いい運動になります。

そこからの眺望は、東山や左京を除いた京都市内が、見えます。
天下を取った気になりそうです。
戦国時代なら、この山に陣を張れば、敵の動きも一望です。
関ヶ原・桃配山の家康公の心境です。
戦の備えにも、そうした大きな寺院が東山に連なっているとも考えられます。

京都にある寺町通りは、名の通りお寺の連なる通りです。
京都の町を守るために、太閤秀吉が、強制的な集めた寺院の通りです。
時の権力者のすることは、凄いですね。

その秀吉公も、東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰山頂に眠っています。
その墓石の凄いことです。
485段もの長い大きな階段を上らないといけないです。
その上に、大きな墓石があります。

昭和の最近まで、そこから京都市内が一望出来たようです。
私が行った時には、すでに大きな木が生え、景色は見えなかったです。
回りの木々を切って、あそこからの眺望をよくすると、観光スポットになると思います。
しかし、どうやってあんな巨石を運びこんだのか、昔の人の力に、感嘆の声をあげます。
あんな凄いことが出来るなら、戦国時代の日本にもピラミッドぐらい作れますよ。

時の権力者と言え、やはり人の生命には限界があります。
次の来世も、その権力を承継できると思うのでしょうね。
あの世の沙汰も、金次第でしょうか?

いえいえそんなこともありません。
現世で、いい良縁を繋ぐことが出来たら、来世もいい縁に繋がるかもしれません。
時の権力者は、それ以上に多くの人の命を殺めています。
プライママイナスで、まだマイナスの方が強いと思います。

寺院に奉納して、少しでも徳を積まれる気持ちを分かります。
見返りを求めても、まさしくその気持ちでは、「無功徳」になるかもしれないです。
神や仏は、何かの見返りを求めるブラックボックスではありません。

今あることに感謝する場所です。
毎日の生きる糧が、命を繋げています。

美味いご飯、その最たる「米」は、特別な食べ物かもしれないです。
五穀豊穣を願う神事も、大切な儀式だと思います。
そう願って田植えが出来るのは、平穏なことです。

東日本大震災で、その田植えすら出来ない場所が多くあります。
一日早い復興を念じたいです。

日々の暮らしの中、ささやかな幸せがあります。
その小さい声に耳をすませるよう、小さな幸せを見つけます。
日々の暮らしこそが、本当の幸せであると感じられるといいですよね。

ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝して暮らしています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、千本鳥居のような長い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。