''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

チーズとクラッカーを、オールドノリタケに盛り付けて より。

イメージ 3

今日も梅雨の中休みで、夏日の予感です。
夏本番とも感じます。

昨日は、北浜の公園でのランチの話を書きました。
休日のランチはいいですね。
この日は、ワイン付きと言うのが、とても優雅でした。
前に見える景色は、北浜のリバーサイドです。

軽いグラタンのランチでは、1本の3分の1ほど、ワインがまだ余っていました。
そんな時、何やら取り出し始めたカメラマンです。
保冷容器に、冷やしたチーズとクラッカーを用意していたようです。
なかなか気が付きます。
イメージ 1

折角だというので、お皿も持参していました。
そのお皿に、冷やしたチーズとクラッカーを、盛りつけた私です。

「あれー?」
クラシカルなデザインのティーカップのソーサーより、少し大きめのお皿です。

♪もしかして、もしかして~ そんな昭和の歌謡曲が流れます。
今や渦中の小林幸子さんと美樹克彦さんのデュエット曲『もしかしてパート2』でよね。

♪もしかして もしかして お前の怒っている訳が さっきのメールのせいならば バカだな仕事の相手だよ~

そんな風に渦中の騒動を分析すると、ぴったりかもしれません。(ここは、ソーサーと答えて下さいね)
まずは、和解の道は、皆無でしょうね。
一度壊れた関係は、もどりません。

「覆水盆に返らず」と喩えですね。
紅白がらみの目先の欲に、多額の和解金を支払っても、誠意がないと感じれば、完全な和解はありません。
テレビのインタビューに出たとしても、ある意味釈明だけで、誠意は見えないですね。

「 咲いた花見て喜ぶならば 咲かせた根元の恩を知れ 」

そんな古い歌があります。
華やかなところだけで、世の中成り立っているわけでありません。
縁の下の力や、内助の功が、あって初めて大輪の花を咲かせるという意味ですね。

仕事があって初めて、スターであって、歌手である。
その仕事がなくなれば、価値はそこにないということでしょうね。
この事件で、人間性まで否定された結果になってしまった。

花だけでなく、料理にも言えることでしょうね。
皿に盛った料理、もちろん、料理も美味しいことが大事です。
しかし、そこに使った器も、料理を引き立てる要素です。
いい皿に盛られれば、上品にも美味しそうにも見えます。

かの美食家の北大路魯山人も、著書『魯山人味道』(平野雅章編 中公文庫)の中で、下記のように記されています。

「料理と食器とが一致し、調和するように心掛けるのであります。―中略― 食器そのものを愛し、取り扱うことが楽しみであり、その食器をいたわれいたわれ扱うというところに、料理との不二の契りが結ばれるのです。食器が楽しいものになれば、必然、料理が楽しいものになるのです。それはあたかも、車の両輪のようなものでありましょう」(昭和8年

なかなか深い言葉です。
しかし、時に魯山人は、言うこともすることの違う人間ですからね。
でも、料理と食器については、ある程度持論だと感じています。

魯山人は、人間関係の中では、きつい言い方をすれば、人の気持ちを考えない最低の人間とも言えます。
いい人格者に、いい作品が作れるとは限らないと、強く感じます。
複雑な生い立ちから、大成した人物ですが、常に人間関係にすり違いを作り続けた人物とも言えます。

ですから、無機質な器や書画に造詣を深くしたのかもしれません。
魯山人の言葉に、「坐辺師友」(ざへんしゆう)というのがあります。
魯山人の世界観を、見事にとらえた言葉であると思います。
言い方を変えれば、そこにあるのは、人でなく、物であった訳ですね。

立派な器に負けないほどの料理が、そこに盛られた。
魯山人の原点の価値観かもしれません。

講釈を考えながら、チーズとクラッカーを頂きます。
白ワインにもよく合います。

気になって仕方がないです。
このお皿は、きっと、きっと、あれに違いないです。
色合いといい、作品の風合いも、間違いないです。

気になって、同行カメラマンにお尋ねしました。
「この皿は・・・・・」
「そう、ノリタケ
やはり、そうでしたか、それも古い初期のオールドノリタケですね。

前回の蓋付きのノリタケには及びませんが、雰囲気はあります。
公園で頂いているとは、到底思えない贅沢です。
イメージ 2

優雅に白ワインとチーズとクラッカーを完食して、お約束の写真にチーズです。(ここしか、笑うところないですよ。ねぇー、とおるちゃん!!)
やはり、ノリタケですね。
十分に楽しめます。

ランチもおつまみも、白ワインも、ノリタケのお皿も楽しめた、休日の北浜バラ園辺りの公園ランチでした。
ほろ酔いの心地よい心持で、優雅な時間を過ごせました。

ご馳走様でした。
至福の時間を過ごせました。
感謝いたします。

日々の暮らしの中で、ささやかな幸せを見つけます。
少しの創意と工夫で、いろいろと幸せになりますね。

ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝して暮らしています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、終わり(尾張)までオールドスタイルな話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。