''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

散歩道、伏見の疎水に咲く花を観賞する より。

今日も梅雨の中休みと言うところでしょう。
日差しのある日中は、ほとんど夏の日差しです。
気温も夏の様相です。

暑いと感じながら、扇風機も使用していません。
まだ、至って平気です。

それにしても、電車や建物の中でも、普通にエアコンが入っています。
電車でも、まだそれほど必要を感じません。
あえて、弱冷の車両で十分過ぎます。

今年は、節電の夏ですからね。
貧家も、玄関の扉を開けて、裏庭に接する窓を開けると、風が通ります。
自然の風も抜けて、心地よいです。

休日なら、買い物帰りに遠回りして、疎水の水面を眺めます。
水の力は、偉大です。
時に驚異のこともあります。
自然の違った二面性のあることも、忘れてはいけないです。

疎水の橋の上から、眺める疎水の水の流れは、意外にも早いです。
水面にあるマイナスイオンの効果でしょうか、心が治まります。
しばし、疎水の水面を眺めています。
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そんな疎水の水面だけでなく、疎水近くに咲く花も、私の心の癒しです。
よく見かける花ですが、名前はしりません。
ブルーのような、それでいて、少し紫かがったブルーです。
綺麗に咲いています。

ブルーと言えば、昨日の事、2ヶ月前に仕事の書類を、さる会社に送付したことがありました。
1ヶ月経っても、返事がないので、こちから問い合わせると、到着していないとの返事でした。
再度、送達の記録を付けて、書類を送付しました。
その結果、いい返事は頂けなかったのです。

仕事ですから、そんなことは気にしません。
その不採用の返事を貰えず、待っていた昨日、他の第三者の情報から、先月はに結果が出ていたことを知らされました。
採用しなくても、不採用の返事くらいは、教えて欲しいと思いましたね。

何か納得できない腑に落ちない気持ちが、強く残っています。
済んだことには、気持ちを残さず、前に前に進みます。
ただ、後味の悪い気持ちは、残ったままです。

そんな時、花を見て、しばし心を癒します。
昔はそんなことを思わなかったのですが、やはり年をとったのでしょうか、それとも、人間が丸くなったのでしょうかね。
嫌なことは、忘れるようにしたいです。

逢見(あいみ)ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり  権中納言敦忠

ふと、百人一首の和歌(43番)が口ずさみました。
「昔は物を思はざりけり」の所だけです。
こちらは、ちょっとエッチな意味深な恋の悩みです。

意訳してみました。
あなたと契りを結んで後の、この恋しく切ない心に比べると、あなたにただ逢えずにいたあの頃の私の思いと比べると、なんと底の浅いものであったものだろう。
もてない君ですが、大人ですから、何となく分かる気もします。

私は、仕事の悩みです。
多かれ少なかれ、いろいろと悩みもあるものです。
因みに、権中納言敦忠と言うのは、菅原道真公を讒言して大宰府に左遷された張本人の藤原時平の三男です。

やはり、人の恨みは怖いです。
そんな時平も、39歳で逝去しています。
道真公の怨念の仕業かもしれません。

それだけでなく、天変地異が続きます。
その御霊を納めるために、天神さんとして、お祀りされています。
天災は、忘れた頃にやってくるといいます。

去年の東日本大震災後も、あちらこちらに、地震の余震が続いています。
また、今年の大豪雨は、九州地方に未曾有の災害を与えました。
去年も今年も、まだまだ災害の最中ということを忘れては、いけないです。

この夏、節電の影響で、暑い暑いとばかり言っても仕方ないです。
皆して、この災害を乗り切らないといけないです。
自然の驚異の前では、人の存在は小さいです。

つまらないことにクヨクヨしても仕方ないです。
そう思えるように、前に前に進みましょう。

この前の続く道は、長安に続いています。
心穏やかに過ごせるように、心の三毒を廃しないといけないです。

花を見て、月を見て、心を穏やかにさせます。

ありがたいことに、私は仏縁を頂けています。
ありがたいと感謝しています。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあるはずです。
目線を下げて、見つける楽しみを感じたいです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、水仙だけに水に流した話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。