''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

疎水近くに咲く花を見て より。

今日は、朝からどんよりとした天気です。
先日の日曜日、買い物からの帰り、遠回りして疎水を通って帰りました。
♪月がとっても綺麗から・・、と昭和の名曲ではないけれど、花がとっても綺麗から、遠回りして帰りましたね。

 

梅雨の恵みで、草花も綺麗にいきいきと咲いています。
伏見の疎水近くは、花を植えられている方が多いです。
疎水の水面を眺めていると、何だか気持ちが落ち着きます。

 

疎水の水の流れとその揺るかな音も、魅力の一つです。
家の近くに、水が流れていると、いいですね。
疎水ですから、川でなく運河のような人工水路です。

 

時に管理事務所の舟が、疎水に浮かぶ事もあります。
伏見公園の疎水辺りの観光船みたいな風情はありません。
それでも、街中を水路が通ると言うのは、涼しさも感じますね。
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何と言うの花でしょう。
名前は知りません。
でも、上品な紫色がいいです。

 

禅の世界に「無情説法の話」という公案があると聞きます。
仏教では、人をはじめ一切の生物を、識情を有するものという意味で、これを有情(うじょう)と称し、これに対して山川草木など、識情を有しないものを、これを無情(むじょう)と呼んでいるようです。

 

大悟された上で、これらを見ると、一切の無情のものも、有情なものと同じように、立派に真理を説いていると、言うことのようです。

 

この無情の説法は、耳で聞いて、眼で見ることは出来ない。
眼で聞き、耳で見て、言い換えれば、心の耳と心の眼をもって、はじめて分かる世界であるということのようです。

 

永平寺開祖・道元禅師の歌にあります。
「峰の色 谷の響きもみせながら わが釈迦牟尼の声と姿と」
自然のすべてが、そのまま説法であり、真理そのものだと言うことみたいですね。
(愛蔵『禅語の茶軸 一行物』芳賀幸四郎著 淡交社 参照)

 

疎水の水の流れも、野に咲く花も、東山三十六峰の最後の稲荷山も、すべても森羅万象、仏の真理なんでしようね。
凡夫の私には、まだまだ修練が必要です。
でも、花には癒されます。

 

人には嫌な雨も、花には必要です。
愛読書の中に、古人の歌にも、引用が紹介されています。

 

「耳で見て目で聞くならば疑わじ おのずからなる軒の玉水」
悟られた方なら、梅雨の雨音も、これまた有情無情の訳なく、真理に見えるのでしょうね。
雨だけに、雨情かもしれません。(ちょっと上手いかもです)

 

雨情と言えば、野口雨情の名が浮かびます。
日本の詩人、童謡・民謡作詞家として、多くの名作を残し、北原白秋西條八十とともに、童謡界の三大詩人と言われた人です。
代表作に『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『シャボン玉』などの作品があります。

 

特に、『シャボン玉』は、たった1週間で夭折した娘みどりのことを歌っているとも、一説には言われています。
どこか、シャボン玉にそうした吾が子命と、天に召されるイメージが重なります。
どの作品も、童謡にしては、少し暗いイメージがありますが、何とも心に届く歌詞でもあります。

 

『七つの子』と言えば、昭和の時代に、一時期社会問題になったことがありましたね。
ドリフの『8時だョ!全員集合』の中、志村けんさんが、『七つの子』の替え歌が問題になりましたよね。

 

♪ 烏(からす) なぜ啼(な)くの  烏は山に可愛い七つの 子があるからよ

 

この部分を、♪ カラス なぜ鳴くの カラスの勝手でしょ〜 と替え歌にしたね。

 

確かにカラスの勝手です。
鳥が鳴くには理由があるはずです。
意図する歌詞と全く違った歌になりますね。
当時、子供がみんなこう歌うので、大変なクレームになったくらいです。

 

それだけ、影響のあった番組でした。
教育によくない見てはいけない番組だと、PTAなんかは言っていましたね。
何を言うか、ドリフが昭和を代表する歌手として、NHKの紅白にも出たくらいですからね。
多くの大人にも、子供にも認知されていた国民的な番組だったです。

 

私たち世代で、ドリフを懐かしいと思う人は多いです。
今でも、志村けんさんや、ドリフのメンバーはテレビやCMで見かけます。
亡くなったいかりや長介さんは、晩年名優と言われ、いい味がありましたよ。
ドラマや映画『踊る大捜査線』の和久平八郎役して、無くてはならない存在でしたね。

 

時に意図したものと違ういい結果になることもあります。
『七つの子』は、好きな童謡でも10本の中に入る名作です。

 

それでも、歌詞の中、7つの子という意味合いも諸説あります。
7歳の子とか、7羽の子とか、現実にはない何かの比喩の世界です。
7歳のカラスは、大人ですし、一度に7つも卵を産みません。
何か多いと言うような喩えの表現でしょうね。

 

多いと言えば、昨日の関西電力株主総会で、大飯原発の再稼動も始動する意思のようです。
原発依存の姿勢は変わりません。
私も東京電力の株主として、東京の会場に行きたかった位です。
やはり原発は、未来には要らんでしょう。

 

原発に変わる何かがあるはずです。
何かに言い換えると言えば、さっきの比喩です。
仏の世界でも、法華経の中にも「譬喩品三」という経典があります。
三車火宅の喩えが出て来る経典ですね。

 

今、日本国は大火になっているのに、役人や企業は、誰もそれに気づかないです。
原発の先にあるものは、負の遺産でしたかない。
何ゆえそれにも関わらず、将来の子や孫世代に、難問を押し付けるのか不明です。

 

福島の原発に難渋している人が存在しているのに、手も貸さず、利権と保身ばかりの無能な存在を露呈しています。
東京電力の社員の治療費や病院維持のため、電気代をアップするのは、やはりおかしいですよ。

 

国民あっても政府であり、日本国です。
放射能で住めなくなった日本に、国民は居なくなります。
ふるさとを失くした民に、何ゆえ支援しないのか、疑問です。
未だに仮設住宅は、疑問が残ります。

 

政局のために、国民を蔑ろにするのは、おかしいです。
同じ東北の人が困っているのに、政局ばかりの小沢氏も政治家の資質は感じられません。
まずは、郷里の東北の再生に人力すべきだと感じます。
あの無駄の時間で、震災関連法案を、論議すること、審議することはあるはずです。

 

また、心の三毒を生じます。
いかんですね。

 

東日本大震災の被災者全員には、一日も早い日常を取り戻してもらいたいです。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せを見つけます。
ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝しています。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、強引強情な話に、津沖合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。