''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

朝から届いたすだちの香り より。

朝8時過ぎに、コンコンと玄関で物音です。
「どちら様ですか?」
「お届け物です」と、いつもの宅配業者さんです。

もちろん、送り主の宛名はブログで仲良くさせ貰っているアロマっ子さんです。
香りの使者です。
いつもアロマの香りで、世界を幸福にしておられます。

この時期、郷里の徳島のすだちを送って下さいます。
徳島産のすだちは、酸味も強いし、香りがいいです。
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1kgの4Lサイズです。
すだちの香りで、いっぱいです。
中をあけると、大きなサイズのすだち達です。
当分、我家では、すだち祭りが出来ます。
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いつもお気遣いありがとさんです。
中には手紙がはいって居りました。
いつもながらの達筆です。
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季節は秋
さんまの塩焼
松茸のどびん蒸し
水なすのおともに
すだちをお届け致します。

何とも、すだちの世界に引き込まれます。
さんまの塩焼きが食べたくなりました。
今晩はさんまの塩焼きで決まりです。
もちろん、すだちをしぼって、味わい深い晩酌になりそうです。

松茸のどびん蒸しも、いいでしょうね。
中国産のお手頃なものが、スーパーにも並んでいます。
水なすに、すだちをかけても美味しいでしょうね。

我家では、大好きな焼きなすに、すだちをかけようと思います。
冷奴もいいでしょうね。
おすましに、入れても美味いでしょうね。

すだちのパンフレットには、お酒にしぼったり、スライスを入れて呑むのもお奨めになっています。
なんかいい感じです。
小分けにして冷蔵庫で保存させて楽しませて頂きます。

それにして、すだちの香りと手紙の達筆な文書に、心に染みましたね。
まだまだ暑いですから、ご自愛下さい。
ゆっくりとして秋が訪れようとしています。
秋の夜長を、しんみりと手酌酒で楽しめます。

禅の言葉、禅語の中に、白馬入蘆花(はくばろかにいる)という言葉があります。
秋の茶席で、よく見かける一軸だと聞きます。(ちょうどいい時期です)
禅語にも、季節はありますよね。

我愛読書「禅語の茶掛 一行物」(芳賀幸四郎著 淡交社刊)によりますと、「銀椀裏に雪を盛る」(ぎんわんりにゆきをもる)のお軸は、夏の茶席でよく使われると記載されてあります。
何だか涼しげですからね。

秋には、白馬入蘆花(はくばろかにいる)のお軸と記載しています。
白い花の中に白い馬を置くと、白くて馬もわかりません。
かといって、白い蘆花と白い馬は全くの別物です。
似ているようで、同じではありません。

もちろん、銀椀に雪を盛っても、目だちません。
それらが対句のような言葉になっています。

この両者が溶け合って見分けの付かない関係を、著者は「不二一如」(ふにいちにょ)と言われ、この関係は「明中の暗」「偏中正」(へんちゅうしょう)という大衆禅の深い法理を比ゆ的に説いた句なのであると記されています。
これが、茶席では、主は客の、客は主の心と心を互い和敬しあって、主客不二・賓主一如の境地にあって、これを「無賓主の茶」と言うと述べられています。

なかなか深いですね。
別々のものであって、それでいて、一つの境地に達する。
そでに、そこには主人も客の存在もない崇高な一服を頂くこと喫するだけです。

やはり禅の境地は深いです。
ありがたい気持ちになります。
ここまで深いと、前後の見境のない日常の記事が恥ずかしいです。(禅語違いです)
同じ白いものの中に隠れると言う「白い」と言って、私には面白いの方ですけどね。(笑)

なかなか腕も上がりません。
日々の修練だと感じて毎日が修行です。

人の日常の暮らしは似ています。
食う寝る遊ぶの暮らしに変わりはありません。
でも、人によって、その人生は異なります。
似て非なるものです。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
人によって、皆違うはずです。
10人いれば、10人感じる幸せは違います。
自分の暮らしにあったささやかな幸せを、見つけられます。
ありがたい仏縁に感謝して暮らさせてもらっています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事な過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、アロマいっぱいの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。