''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

京都南座・錦秋新派公演「滝の白糸」「麥秋」2本のメインタイトル より。

朝から、雨降りの京都です。
少し強めに降っています。

昨日は、いいお天気でした。
昼から、少し鴨川に散策に出かけました。
日のある内は、心地よく感じますが、雲が出ると風も幾分冷たく感じます。

夕刻から京都南座に、芝居を見に行きました。
知り合いからチケットを頂きました。
もちろん、時間が合ったので、楽しみにして行きました。

錦秋新派公演です。
開演前から多くの人がいらっしゃいます。
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泉鏡花原作 成瀬芳一 補綴・演出「滝の白糸」と、山田洋次脚本・演出「麥秋」、2本のメインタイトルの豪華版です。
「麥秋」(ばくしゅう)は、小津安二郎野田高梧「麥秋」より山田洋次監督50周年のタイトルが付いています。
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泉鏡花原作 成瀬芳一 補綴・演出「滝の白糸」は、明治中期の北陸を舞台して、水芸太夫といつも本を読んでいる勤勉な元士族の青年の儚い恋の物語です。

女水芸人・瀧の白糸太夫(本名 水島友)は、乗合馬車の御者を働く村越欣弥(欣さん)と知り合います。
月夜の夜、再度太夫と欣弥が再会します。

経済的な理由で、学問を断念したことを知った太夫は、自分が仕送りをすることを約束します。
しかし、欣弥は見ず知らずの人から支援を受けることは出来ないと、この申し出を拒否しますが、じゃー、家族のようになろうと、太夫の申し出です。
この事に納得して、支援を受けることになります。

太夫は、少し欣弥に恋心を持っていますが、欣弥は勉学して立身出世する身です。
間違っても、妻になろうというのではありません。
自分の出来ない夢を、欣弥の将来に託したのです。
その後も欣弥を支援し続けます。

水芸は、夏はいいですが、冬場はどうしても人気が薄くなります。
ましてや北陸です。
東京にいる欣弥に、どうしても100円の仕送りが必要になります。

そんな折、一座の中に対立する刃物の曲芸師・南京寅吉とトラブルになり、寅吉は座頭から借りた100円を、太夫から盗む企てを実行します。

盗んだ際、曲芸師・南京寅吉の投げつけた刃物が、残っていたのです。
命かけで、手にした100円を手にする為に、この刃物を手に強盗に入ります。

現場近くには、曲芸師・南京寅吉の刃物が残って居たため、警察に捕まります。
しかし、自分は殺しをしていないと、無実を主張します。
100円を盗まれた太夫は、曲芸師・南京寅吉にお金を盗まれた覚えはないと、しらをきります。

欣弥に仕送りを続けて、3年が過ぎています。
太夫が、裁判所に曲芸師・南京寅吉の裁判の証人に呼ばれています。
これを拒否する太夫ですが、しぶしぶ裁判所に出頭する事納得します。
場所は、3年間に欣弥と出会った茶店です。

太夫茶店を出た直後、金沢に検事補として、母を伴って赴任しきます。
ほんの入れ違いです。

裁判所では、曲芸師・南京寅吉を無実を主張しています。
証人の瀧の白糸太夫は、お金を盗まれた覚えはないと、宣誓した上、証言します。
しかし、誰に仕送りしたのかは、頑として口にしません。

その法廷には、仕送っていた欣弥が、検事補として席に着いています。
欣弥は、言います。
明日にでも、恩人に会い、礼を述べ、今まで恩に報う為に、共に暮らしたい・・・・。

しかし、あれから最初に会ったのが、検事補と証人としてです。
もちろん、欣弥は真実を述べて欲しいと、太夫に懇願します。

太夫も、恋しい欣弥に言われては、「お金を盗まれました」と観念して白状します。
その言葉に、欣弥は法廷を出ます。
証言の直後、太夫は、その場で舌を噛み切り、自害します。
時を同じくして、検事補の欣弥は、ピストルで自決します。

まさか、そんな金で今の自分があることに、我慢出来なかったのでしょう。
この事件がなければ、二人は共に夫婦として暮らしていたかもしれません。

罪の根源は、曲芸師・南京寅吉の悪い企てです。
しかし、運命の価掛け違いがあった。
それも、縁かもしれません。
悲劇という結末しかありません。

泉鏡花原作とは、少し話が違っていますが、物悲しさは残ります。

芝居としては、好き嫌いの分かれるところですが、南座で水芸を見られたのは、これは良かったですね。
何とも太夫といい、女性たちいい、華やかな舞台でした。
ぱっと花が咲いたというのか、秋の景色が、春爛漫の景色を楽しめました。

太夫は、バラエティーで、お姉キャラでも有名な市川春猿さんです。
少し早口で気ぜわしい口調でしたが、それとは逆に、春平役の田口守さんの軽妙なおしゃべりと賑やかしの芸風は、水芸をよりいっそう盛り上げられたと思いますね。

一番、華やかな存在に感じられましたね。
頭から出る水も、最後の最後ので、劇場の笑いを誘いましたね。

それに比べて、二幕は、山田洋次脚本・演出「麥秋」です。
映画・小津安二郎監督の世界です。
山田洋次監督50周年のお芝居です。

戦時中の話から始まります。
二番目兄が、南洋で戦死します。
ちょうどその頃、間宮家の娘・紀子が、兄の幽霊を見ます。

話の中心は、戦後8年が経った昭和28年です。
間宮家は、軍医だった長男の康一が、戦後開業医して間宮医院をしています。

ここで、家族が暮らしています。
話の中心は、28歳の紀子です。
この紀子の縁談を中心に、いろいろな人間模様が描かれています。

兄の康一の嫁が、いい位置で家族を取りまとめようとしています。
父も母も、この嫁の前では、何やらいい感じです。

嫁は、名優・池乃久里子さんです。
母は、水谷八重子さんです。
幸いこのお二人しか、存じません。

この芝居の中で、良かったのは、やはり長男の康一役の田口守さんですね。
「滝の白糸」春平役でも登場されていましたね。
こちらの芝居でも、その存在はなくては成らない存在でした。

子供たちの父であり、縁談の紀子の兄であり、年老いた父母を持つ家長でもあり、妻には夫でもあって、苦悩する役が何ともコミカルに感じました。

至って主人公のいるような話ではありません。
小津ワールドです。
何気ないどこの家庭にでもある話しが中心です。
家族とは、一体何んだろうかという提言を、芝居にしたような話です。

ひょんな事から、幼馴染のお迎えの矢部家が、転勤で引っ越します。
運動会で、誰もいない中、留守番の紀子と、おしゃべりな矢部たみが、何気ない話の中で、紀子に息子の嫁になってもらいたいと、話をします。

時同じくして、紀子には良家の縁談の最中です。
しかし、このおしゃべり婆さんの申し出を了解します。
さぁ、大変です。

間宮家では、誰も知らない話が、突然始まります。
矢部の息子・謙吉には、先妻との子供もいます。
縁談はどうするんだと頭を抱える兄の康一です。
本当の気持ちを確かめようと、嫁の史子の存在もいいですね。

治まる所に治まります。
すでに最終幕では、転勤先に旅立とうとする紀子です。

最後にと、写真屋を読んで、家族写真を撮ります。
珍しいのは、舞台でお客に、写真屋が背中を向ける設定です。
本当に写真を撮っているような錯覚を覚えましたね。

仄々とした三丁目の夕日を眺めているような、何気ない風景が、芝居や映画になったような気分です。
娘を見送る父の表情が良かったです。
うーん、心が温かくなったそんな舞台でした。

山田洋次脚本・演出「麥秋」は、舞台設定が細かいです。
縁側の下に置いてある火鉢、一灯缶、七輪から、物干しに乾されているタオルや包帯、それに干し柿もあって、舞台の幕事に少し変わっています。
見ている人も少ないでしょうが、何とも楽しめました。

それに、平面と立体の建物、それに風景の絵が、特別な世界を織り成します。
ちょうど、3Dメガネを着用して見た3Dテレビのように思えましたね。
不思議な舞台です。
それに、40Wほどの発熱電球を、南座の舞台の一つ点けた様な情景は、テレビでも映画でもない普通の舞台でもない、不思議な空間です。

そう浮遊した霊魂のような感じです。
私が、幽体離脱して家族を眺めているような感じです。
戦死した次男が、家族を眺めているような情景に思えましたね。

光の使い方、音楽の使い方、山田洋次の演出を感じます。
私の好きな映画の中に、山田洋次監督の『息子』があります。
障害を持つ川島征子を、和久井映見さんが演じた映画でもありました。
何か通じるものを、この「麥秋」に感じました。

タイトルの「麥秋」は、紀子の主人になる矢部謙吉に戦死した次男が、手紙を送ったことがあり、その手紙の中に、麦が入っていたことと、紀子の父・周吉が故郷の大和の季節が麦の季節だと言っていることに由来すると、自分なりに考えます。

深い2種類の違った愛をテーマにしたお芝居でした。
うーん、深い時間を過ごさせ貰いました。
お芝居のチケットありがとさんでした。

何気ない生活の中に、泣き笑いがある。
日々の暮らしの中に、幸せがある。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、白糸のような長い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。