''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

棚からぼた餅 わらしべ長者への道 より。

昨日の雨はよく振りましたね。
一転、裏庭に日差しが射しています。

 

昨日の南座のお芝居の番外編の話です。
忠臣蔵なら、差詰め、外伝と言うのでしょう。
忠臣蔵には、本編、銘々伝、そして外伝の3つに別れます。
特に、浪曲、講談の分野ではこうした区別がありますね。

 

頂いたチケットは、日を分けて数枚頂きました。
日の合わないチケットは、芝居好きの大家さんに、もらって頂きました。
大変喜ばれて、朝に携帯電話が掛かってきました。
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チケットが、ぼたもちに変わりました。
これって、所謂「棚ぼた」でしょう。
棚からぼた餅ですね。
わらしべ長者になれそうですね。

 

そのその、春のものを「ぼたもち」、秋のものを「おはぎ」とする説があることも存じております。
ぼた餅、どうぞとお声を掛けて頂きました。
ですから、季節に関係なくぼた餅と表記です。

 

地方によっては、半殺し、皆殺しと表現することもあります。
少し物騒ですね。
あんではなく中の米の状態によって区別し、完全にもちの状態までついたもの(皆殺し)をぼたもち、ついた米の粒が残っているもの(半殺し)をおはぎと呼ばれる所以かもしれません。

 

殺すと言えば、法華経の世界でも、関係があります。
1271年(文永8年)9月12日、日蓮が鎌倉の龍ノ口の刑場へ引き立てられていった。急を聞いた桟敷の尼が、なにか最後のご供養をと考えたが、急であったためあんをつくる時間がなく、きな粉と胡麻をまぶして牡丹餅を作り日蓮に献上したという。日蓮は、難を免れ佐渡流罪となった。(Wikipedia参照)

 

意外に縁起のいい食べ物に感じます。
日蓮様と言えば、最初に「南無妙法蓮華」とお題目をあげられた法華経の上では、上人様です。
私の中では、「南無法華経弘通大導師。眞の高祖日蓮上行如来」様ですね。
まさしく、如来様としてのありがたい徳を与えて下さいます。
昨日は、11月11日、蓮の日、六祭日でもありました。

 

これは、縁起がいいでじゃ、ありませんか?(チャリー浜風に)
食べ物にも、縁起の有無があります。
この世は、すべて空の仮の世界です。
空(くう)は、縁起とも言えます。

 

佛の世界では、人は輪廻を繰り返します。
金剛界胎蔵界、法と妙の世界、現世と来世の間には、あの世の世界が存在します。
あるんですよ。

 

死んでそれで終わりではありません。
魂は、輪廻します。
もちろん、過去世の記憶は、リセットされます。
しかし、何らかのトラブルで、リセットされずに、過去世の記憶のある方もおいでです。

 

現世は、仮の世界と言っても、修行の身です。
精一杯生きないと、来世は不遇なものが待っています。
人に生まれるのか、それとも違うのか、私には分かりません。
あの世でも、もちろん、天国もあれば、地獄もあります。

 

ただ、私のような凡人には、普通の世界があるだけです。
木戸のガラガラ戸を開けると、そこは土間の玄関です。
下足の石を上れば、4.5畳と6畳の二間、狭いながらも裏庭があります。
玄関の横には、小さな台所です。

 

システムキッチンでは、ありません。
日本家屋の長屋の台所です。
奥の6畳間で、お寝起きしています。
時々仕事にも行っていたようです。
家から歩いて数分の居酒屋さんのようなお店にも、よく通っていたようです。

 

あれ、何か似ています。
今の貧家の長屋ではありませんか、原型はそうですね。
ただ、今の住まいには、あちらの世界でなかった2階が存在します。
少し出世かもしれません。

 

まるで、1985年のSF映画の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future)じゃありませんか?(チャリー風に)
ある日、この世に戻る指令を受けました。
居酒屋さんでは、皆が口々に「良かった」と喜んでくれました。

 

次に気がついた時は、現世に戻るトンネルのような祠(ほこら)に入る順番の列に並んでいました。
鳥居のような門があり、そこから祠(ほこら)入ったわけです。
そして、天からメッセージを受けました。
「今度は、幸せになるように」とね。

 

前回のミッションには、失敗したようです。
失敗したと言う記憶も、うっすらとあるような気がします。
一緒に、その前の前の記憶も、うっすらあるような気がします。
京都の亀山に居たのです。
どうして、今の家に生まれて来たのかも、うっすら理由を知っています。

 

未知なる記憶が、数珠つなぎに連想されます。
それも、棚ぼたかも知れません。

 

幾度と事故に遭っていますので、これが正しい記憶なのか、それとも脳の勝手な記憶か定かではありません。
仮の世界ですから、この世を去っても、あの長屋に戻るだけです。
まだ、布団も置いています。
それだけです。

 

また新たしい来世に、GOGOでしょうね。
今の住まいから、歩いて行ける場所に、日像菩薩さんの関係する地があり、道元禅師が最初に建てられたお寺跡があり、神の領域も近いです。

 

何やら仏縁を身近に感じます。
今あることは、偶然ではなく、必然であると感じます。
ありがたいご縁に感謝しています。

 

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあると感じます。
ありがたいことです。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に暮らせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、甘~いおかしな話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。