台風一過の晴天の一日でした。
被害に遭われた方には、お見舞い申し上げます。
幸いなことに、避難勧告されて伏見でも、大災害にはならなかったようです。
ありがたいことです。
被害に遭われた方には、お見舞い申し上げます。
幸いなことに、避難勧告されて伏見でも、大災害にはならなかったようです。
ありがたいことです。
私の住まいする場所では、少し高台にあった為、河川の反乱の脅威はなかったです。
疏水の水も、水害を恐れて、水位を低くされていました。
懸命な策だと思っております。
疏水の水も、水害を恐れて、水位を低くされていました。
懸命な策だと思っております。
京都でも、渡月橋辺りなど、多くの地域で、被害が出ております。
あれだけの河川の増水でありながら、近年の九州のような甚大な被害は免れたと思います。
あれだけの河川の増水でありながら、近年の九州のような甚大な被害は免れたと思います。
昨日の夕刻には、すっかり日も出ていました。
夕日も見れました。
そんな訳で、ささやかな夕餉の用意です。
日本酒が呑みたくなり、刺身の盛合せにしました。
三種盛の刺身を食う話です。
お気に入りの蛤の中皿に、大根のケンを敷き、大葉を背にして、左から、ホタテ、マグロ、イカの三種盛りです。
夕日も見れました。
そんな訳で、ささやかな夕餉の用意です。
日本酒が呑みたくなり、刺身の盛合せにしました。
三種盛の刺身を食う話です。
お気に入りの蛤の中皿に、大根のケンを敷き、大葉を背にして、左から、ホタテ、マグロ、イカの三種盛りです。
ちょっと贅沢です。
スーパーのパックでは味気ないので、自分で盛り合わせました。
ホタテの甘さが印象的でした。
スーパーのパックでは味気ないので、自分で盛り合わせました。
ホタテの甘さが印象的でした。
三種盛りにすれば、いつも出るのが、仏法の「空」の話です。
三世の輪廻の話を、よく書きます。
過去世、現世、来世の三世です。
この皿を、空の世界に見立てます。(小さい空ですね)
三世の輪廻の話を、よく書きます。
過去世、現世、来世の三世です。
この皿を、空の世界に見立てます。(小さい空ですね)
その空の中に、過去世、現世、来世が存在します。
それらを魂が移り行く訳です。
仏法は、この輪廻を前提にしていると言えます。
それらを魂が移り行く訳です。
仏法は、この輪廻を前提にしていると言えます。
あの世と言う見えない胎蔵の黄泉の世界は、この裏側にあると思うと、いいかもですね。
水面の上と下の関係かもしれません。
水面の上と下の関係かもしれません。
金剛の世界から見れば、過去世、現在、来世の三世が存在していると思われます。
その中で、赤い色したマグロが現世なら、今ある有の世界です。
マグロ(鮪)は、魚編に、有ると書きますからね。
その中で、赤い色したマグロが現世なら、今ある有の世界です。
マグロ(鮪)は、魚編に、有ると書きますからね。
ただ、大抵の人は、現世から、他の過去世や来世は、見えません。
存在しても見えない世界です。
見える方も居ます。
天眼通、宿命通、漏尽通の神通力のある方ですね。
存在しても見えない世界です。
見える方も居ます。
天眼通、宿命通、漏尽通の神通力のある方ですね。
もちろん、仏様には見えます。
同時に、裏面の胎蔵の世界も見える訳です。
同時に、裏面の胎蔵の世界も見える訳です。
空と言えば、天台の「空仮中の三諦」(くうけちゅうのさんたい)が思いつかれる方も多いかもしれません。
「空仮中の三諦」とは、空諦・仮諦・中諦の3つのことです。
「空仮中の三諦」とは、空諦・仮諦・中諦の3つのことです。
天台宗で、実相の真理を明かすものとして考えられた空・仮(け)・中の三つの真理のようです。
これをより知り得るには、天台の妙義「一念三千の法理」、「三千世界」の意味合いも知らないといけないと言う事になります。
これをより知り得るには、天台の妙義「一念三千の法理」、「三千世界」の意味合いも知らないといけないと言う事になります。
天台の研究は、仏法世界の中でも、難しいですから、私のような凡夫が知り得るはずもありません。
言葉遊びの範疇にしか過ぎません。
言葉遊びの範疇にしか過ぎません。
ただ、私の言う空(くう)とは、縁起であるという事の前提です。
空は、縁起であるということは、間違っていないと思います。
空の方が広い定義になりますから、縁起が空とは言えないと思います。
では、空とは何でしょう。
空は、縁起であるということは、間違っていないと思います。
空の方が広い定義になりますから、縁起が空とは言えないと思います。
では、空とは何でしょう。
仏様の智慧は、「甚深無量であり、ただ仏と仏と乃(いま)し能(よ)く諸法実相を究盡(くじん)したまえり」と、妙法華経にも記されています。
とりあえず、仏様の智慧は、難解難入なりと言えます。
到底、私のような凡夫とは無縁の世界です。
とりあえず、仏様の智慧は、難解難入なりと言えます。
到底、私のような凡夫とは無縁の世界です。
つまり、空は、諸法実相でもありえます。
では、諸法実相の諸法とはこの現象界に於ける森羅万象の総称であり、実相とは、それらの本体である所の実在界を指したものだと、古い古い本『法華経講話』記されています。
では、諸法実相の諸法とはこの現象界に於ける森羅万象の総称であり、実相とは、それらの本体である所の実在界を指したものだと、古い古い本『法華経講話』記されています。
これが一番簡潔な答えでしょう。
続いて、諸法の外に実在はなく、実在の外に現象はないと、述べてあります。
この二者は、全く不二であり、円融一体であると、導かれます。
つまり、平たく言えば、この大宇宙という事も言えます。
続いて、諸法の外に実在はなく、実在の外に現象はないと、述べてあります。
この二者は、全く不二であり、円融一体であると、導かれます。
つまり、平たく言えば、この大宇宙という事も言えます。
天台では、ここから互具円融して万物一如って言う事になるんでしよう。
その過程に、一念三千の妙理が、諸法実相を知る上で必要になると言うのですね。
ここで、物事の真理は、空にも偏らず、仮にも偏らない中にあるとする一連の天台の「空仮中の三諦」(くうけちゅうのさんたい)に繋がって行くのです。
その過程に、一念三千の妙理が、諸法実相を知る上で必要になると言うのですね。
ここで、物事の真理は、空にも偏らず、仮にも偏らない中にあるとする一連の天台の「空仮中の三諦」(くうけちゅうのさんたい)に繋がって行くのです。
凡夫には、ここ辺が限界点かもしれません。
でも、空と言う概念が大きく、「色即是空、空即是色」のような空のイメージに繋がります。
空は、単純な何もない「無」の意味とは違います。
空の中に、有と無、二つの存在があります。
でも、空と言う概念が大きく、「色即是空、空即是色」のような空のイメージに繋がります。
空は、単純な何もない「無」の意味とは違います。
空の中に、有と無、二つの存在があります。
縁起が空だと言えるなら、魂の輪廻の中、過去世の縁、つまり因縁が現世にも来世にも繋がつています。
ちょうど刺身の下に敷いた大根のケンみたいです。
糸のように絡み合って、どこに繋がっているのか解らないからです。
ちょうど刺身の下に敷いた大根のケンみたいです。
糸のように絡み合って、どこに繋がっているのか解らないからです。
それらの縁起を正しくする方法として、悪い行いをせずに、悪い縁を断ち切り、良い行いをして良い縁を結ぶことにあります。
悪い縁には、恨みなどの憎しみが発生します。
人の恨みは、怖いです。
悪い縁には、恨みなどの憎しみが発生します。
人の恨みは、怖いです。
その為に、心に三毒を起こさぬように、いろいろな方法が記されています。
その中心が、観世音菩薩普門品第二十五、俗に言う観音経にあるように思えます。
もちろん、普賢菩薩勧発品第二十八や仏説観普賢菩薩行法経にもあるように思えます。
輪廻を繰り返すのは、今の現世が真実の姿ではなく、仮の姿、仮の世界であるという事を諭されています。
その中心が、観世音菩薩普門品第二十五、俗に言う観音経にあるように思えます。
もちろん、普賢菩薩勧発品第二十八や仏説観普賢菩薩行法経にもあるように思えます。
輪廻を繰り返すのは、今の現世が真実の姿ではなく、仮の姿、仮の世界であるという事を諭されています。
今夜の月は、綺麗でした。
我が愛読書の『禅語の茶軸 一行物』(芳賀幸四郎著)の中に、「貪看天井月不可失却掌中珠」(天井の月を貪(むさぼ)りて看(み)て、却って掌中の珠(たま)を失却す可(べから)ず
)と言う句がありました。
我が愛読書の『禅語の茶軸 一行物』(芳賀幸四郎著)の中に、「貪看天井月不可失却掌中珠」(天井の月を貪(むさぼ)りて看(み)て、却って掌中の珠(たま)を失却す可(べから)ず
)と言う句がありました。
自分の愚かな行いがないか、今一度反省が必要です。
そうだ、これから軽く少しだけ、一人で反省会(慰労の会)をしてみますよ。
そうだ、これから軽く少しだけ、一人で反省会(慰労の会)をしてみますよ。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁だと、感謝して暮らさせて貰っています。
ありがたい仏縁だと、感謝して暮らさせて貰っています。
最後まで、盛りだくさんの刺身を食う話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。