''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

朝からモーニングシチューが食べたくなって より。

朝から寒いです。
空腹を覚えて、眼が覚めました。
急に、朝ごはんに、シチューが食べたくなりました。
えーって?
食べたなったら、作るだけです。

ジャガイモと玉ねぎ、それに冷凍庫に、牛肉がありました。
これなら作れます。
もちろん、有言実行です。
最初に鍋にお湯を沸かして、その沸くまでの間に、じゃがいもの皮をむき、玉ねぎを大きめにカットです。
そして、クリームシチューの素を投入です。

モーニングのお茶を頂きます。
その為のお湯もか沸かします。

その間に洗顔や歯磨きを終えた頃に、トースターにパンを入れる訳です。
そうこうして、朝から即席のクリームシチューが出来上がりました。
イメージ 1

15分で作ったとは思えない出来です。
イチラーですから、一味もフリフリです。
乾燥パセリ、通称・パセポンを振っても、美味しそうに見えると思います。
朝から、がっつりと刺激します。
イメージ 2

もちろん、トーストも一緒に頂きます。
朝ごはんらしい食事が出来ました。
ただ、シチューが熱々で、上顎の皮が火傷をおこしています。
この火傷に、一味が答えます。
少し反省です。

熱々のシチューが朝ごはんに出るのも、やはりいいものです。
朝食は、一日の活力です。
もちろん、痛風の私には、特効薬のヨーグルトは欠かせません。
正月の酒の飲み過ぎで、軽く発作の予兆もありますね。

これはいけません。
その為にも、ヨーグルト頼みです。
信じるもの、救われます。
仏法世界で言うなら、観音様と同じですね。

クリームシチューと言えば、今や売れっ子のお笑いコンビ・くりぃむしちゅーさんですね。
テレビでよく見かけます。
その中でも、上田さんも司会はいいですね。
言葉の選択がいいんでしょうね。
上田と言って思い出すのは、私の中では、文学者、翻訳家の上田敏です。

山のあなたの空遠く 『幸』(さひはひ)住むと人の言ふ」(カール・ブッセの「山のあなた」)や、「秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し」(ポール・ヴェルレーヌの「落葉」、一般には「秋の歌」)などの訳詞は、リズムよいとして有名です。(ウィキペディア抜粋・参照)

その上田敏の訳詩集に『海潮音』と言うのがあります。
この詩の内容ではなく、この言葉が、法華経の観世音菩薩普門品第二十五(俗に言う観音経)の中の経典から、引用された言葉であると聞いたことがあります。
仏教にも造詣が深かったようですね。

観世音菩薩普門品第二十五に、「妙音観。世音。梵音。海潮音。勝彼世間音」の5つの音が記されています。
「観音さまは絶えず説法されていて、その説法には五通りの声があり、すなわち妙音、観世音、梵音、海潮音、世間音の五音である」と言う風に解説されていることが多いです。

ただ、「妙音観世音、梵音海潮音、勝彼世間音」ですが、多くの解釈書もあり、梵音海潮音と言う音は、実際に聴ける音(天耳通)だと主張されている方もおられるようです。

千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺、西光寺のホームページの解説にも、先日書いた記事の持地菩薩が地蔵菩薩様であることが、記されています。
このお寺の解説によると、やはり、五音ではないと記されています。
梵音海潮音という音であって、「梵音海潮音」とは陸地や海原、すなわち大自然が放つさまざまな音(おと)のことだと、解説されています。

私は、やはり教典にあるありがたい五音であると、信じたいですね。


黄檗宗のホームページにある法話の中に、長野県 ・長福寺住職  上沼雅龍氏の解説があります。
その中では、「五つの音色」として解説されています。
ありがたい文章なので、抜粋させて頂きます。

妙音は、苦難の人々を救おうという悲観から起こる声です。「だいじょうぶですか」という声があてはまります。 

観世音は、 相手と同じ立場になって発する声です。先日、妙心寺の管長さんである河野太通老大師を取材する機会がありました。神戸淡路大震災の被災者でもある老大師 は、当時を振り返り「お見舞いに来られる人々は皆一様に『がんばれ』と言われた。しかし、これ以上どうがんばったら良いのか腹立たしい思いもした」と涙な がらに語られました。「がんばれ」は確かに、相手と同じ階段のステップを踏んでいません。同じ立場だったら「がんばりましょう」「がんばろう」という言葉 に変わっていくはずです。

 梵音(または読み癖でぼんのん)は、さわやかな声、つまりあいさつの声です。どんな状態にあっても「こんにちは」「ありがとう」というさわやかな声を出していきたいものです。

 海潮音は、潮騒です。何度も止むことなく繰り返し、そしていつも新たな気持ちで「何度でも来ます」「いつでもお手伝いできます」という、繰り返しの心がこもった声を言います。

 勝彼世間音は、彼の世間つまり過去の世界よりも今日の方が良いんだという声です。昨日より今日、今日より明日に向かって良い世間を作って行くんだという復興と希望の声です。

 私たちは、今たいへんな時代に、おかげさまで命を頂いています。一人ひとりの人々が五つの音色を持った声を出し合って、力を合わせて行くのだと、観音経は励ましてくれます。

全体の法話は、↓をご覧になって下さい。
http://www.rinnou.net/cont_04/myoshin/2011-04b.html
この法話には、元気づけられます。
ありがたいです。

東日本大震災の被災者の方にも、「一緒にがんばりましょう」と言う気持ちです。
安易にがんばりましょうと言うのは、少し辛いです。

被災した方でしたか分からない出来事が多くあります。
現実の真実は、テレビなどのマスコミでは報道されません。
それをご存じのですから、安易に励ましいの声をかけることも出来ません。

これ以上、がんばれと言うのでなく、かんばらないでいいように、させてあげたいです。
そう意識を変える必要があります。
いつ地震やまた放射能汚染が、身近に起きるかもしれません。
他人事では、ありません。

関西でも、福井県などに原発発電所を押し付けて、暮らしていますが、実際放射能が漏れれば、関西でも生活することは出来なくなります。
食料も、水もです。
琵琶湖の水を利用している以上、飲料水にも困る有様です。

福島だけの問題では、ありません。
地震だけでなく、有事も想定できます。
日本海当りも、いろいろと国際問題を抱えています。
他人事ではありません。
福島の問題も、東北の被災者の問題も、もう少し、身近に感じないといれないと、感じています。

ですから、安易にがんばろうでなく、がんばらないで下さいと、言えるようにしないといけません。
まずは、もっと関心を持つことしかありません。
今も被災地の生活は、日常が戻っていないのも現実です。

如何に日常の暮らしが、ありがたいものか、明らかです。
そう思った時には、なかなか日常が戻らないものです。
ですから、何もない時にこそ、その幸せを味わえるようにしたいものです。

上を見ても、下も見ても、キリがありません。
今ある自分の分に応じた暮らしの中に、ささやかな幸せを見つけることが、大切だと感じます。

被災された方々の暮らしの中にも、ささやかな幸せがあるはずです。
どうぞ、それを新しい楽しみに、もう少しがんばって貰えたらと、考えています。
私が出来ることは、被災された方の事を忘れないことだと思っています。
風化させてはいけないと思いますね。

多くの方が亡くなった中で、生かされた命です。
何かの天命があって、生かさせたと感じています。
「生きているのでなく、生かされている」と感じられることに、幸せを見つけられたら、きっと少し目の前が明るくなると、思っています。

朝の一皿のクリームシチューが、一日の英気を与えてくれることもあります。
くりぃむしちゅーさんの笑いが、明日への英気を与えてくれることもあります。
私もその一人です。
ありがたいと、朝餉に頂きます。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝です。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、長い文章で冷めきったクリームシチューの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。