''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ストローベリーなチョコレートをウイスキーのお供に より。

朝から寒いです。
今日は、朝から寒さで目が覚めました。
季節が少し戻った感じです。

先日の日曜日は、昼ごはんを食べた後、しばし軽いアルアルタイムとなりました。
いつものように、ワインでなく、ウィスキーを少々です。
前に記事にしたオールドパーの曲芸を見せてあげように、画策しましたが、私が定量以上呑み過ぎて、オールドパーの瓶がバランスを取れません。

それでも、まだ少し残っていますので、少し口を付けました。
相方の表情は、無理のようです。
ウイスキーをストレートで飲んだことがない人には、少し強すぎますね。
子供の頃、ウイスキーボンボンを口に入れた時のような驚きでしょうね。
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苦いお薬呑んだご褒美とばかり、ストローベリーなチョコレートを、口中に投じるように進めました。
少し気持ちも和んだようですね。

郷里の我家では、洋酒など見たことがありません。
父も1杯のビールが、呑めるか否かの家で、洋酒、それもウイスキーは置くはずがありません。
最初に口にしたのが、小学生の2年生の時でした。

「なんじゃ、こりゃー」
太陽にほえろ」のジーパン刑事役の松田優作さんの名台詞です。
アドリブにしては、迫力がありましたね。
もちろん、リアルタイムで見ていました。

あの時の衝撃に近いです。
従兄弟に言うと、ウイスキーの味だと教えてくれました。
それが、ウイスキーボンボンだっのたです。
大人になったら、こんな物が美味いと感じるのかと思うと、こりゃ無理だと思いましたね。

ところが、時間というのは、可笑しなものです。
大人になって、少し練習すると、この変な味が、ストレートで呑めるようなりましたね。
もちろん、家呑みが多いです。

外で呑む時は、ロックか水割りです。
でも、長い間、ウイスキーとは、ご無沙汰していました。

一時、浮気的に、ラム酒を常飲していたことがあります。
あれも、チョコレートに入っていたのを、呑んだのが最初でしたね。
どちらも、チョコと相性がいいようです。

最近は、懐かしさに伴って、ウイスキーを呑む事がしばしばあります。
ラム酒とは、少し遠ざかっています。
チョコレートで、ラム酒の入っているのを、時々食べると、ラム酒が呑みたくなる事もありますね。

でも、ウイスキーボンボンを考えた人は、凄いと思いますね。
液体を、チョコレートでコーティングするんですからね。
こりゃ、コーティングの技術は、冥王・レイリーといい勝負かもしれません。

何事も、「オブラートに包む」と言い慣用した言い回しがあります。
最近では、オブラート自体をご存じない方もいますからね。
「良薬は口に苦し」の意味合いも薄れる一方です。

でも、直接的な言い方より、少し柔らかい言い回しにした方が、いいこともあります。
社会では、そんな大人の対応出来る方が、一目置かれますね。

何か嫌なことで、少し物の考えた方を変えるだけで、嫌な事がそれほど嫌でなくなる事があります。
やる事は同じです。
仕事も、するのか、してやっているのか、させてもらっているのか、すべて同じ行為でありながら、そこに違いは、その方の気持ちでしょうね。

嘘も方便と言いますが、方便と言うのも、所謂知恵です。
オブラートに包むことになる場合も、多いです。

この世は、嫌なことが多いです。
その中でも、我慢することが必要になります。
仏の世界でも、柔和忍辱の心、これが如来の衣だと言われます。
少し耐えるなら、気持ちだけでも楽になるように、自分を騙さしてみるのもいいかもですね。

どうせ騙さすなら、上手に騙されたいです。
一種の自己暗示です。
何かに比べて、辛いとか楽だとか感じます。

でも、仕事も忙しいと、あっという間に時間が経ちます。
楽しいときも、時間があっという間です。
それに比べて、苦しい時や辛い時は、時間が過ぎません。

同じ1時間でも、気持ちの持ちようでしょうね。
とは言え、なかなか上手に気持ちをコントロールできません。

嫌で嫌でたまらない時間も、心の中で一心に観音様の名を念じます。
何か、元気がもらえるような気がします。
これから、嫌な場所に行く時も、これから嫌な仕事が始まる時も、一心に観音様の名を唱える。
何やら、少しだけ気持ちが軽くなります。

迷信ではありません。
観音様は、この娑婆世界を自在に移動できるのが、神通力でしょうね。
いつも呼ばれると、近くにおいでになり、一人でなく、お供して下さると感じています。
迷信ではありません。
絶体絶命の時が、人間あります。

そんな時、騙されたと思って、自分でその体験をすれば、私の言っている事が解ります。
仕事でも、人間関係でも、嫌な事や煩わしいことが多いです。
すこしだけ、勇気をもらえれば、超えられる気持ちの山もあるかもしれません。
峠を越えた先に、何かきっと見出せることだと思います。

眠れない時、軽くグラスに寝酒のウイスキーをワンフィンガーほど呑んだ見るのも、いい手かもしれません。
それだけでも、気持ちの憂いがとれるかも知れません。
それ以上、憂いがあるなら、観音様の名を唱えながら、眠りに付けば何から吉報の兆しがあるかもしれません。

一日が終わる時、手を合わせて、観音様に感謝しています。
それが、幸せの素かもしれません。
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝しています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、甘~いウイスキーのお供の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。