''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

働く車シリーズ 日立建機 双腕作業機 アスタコ より。

どうも首の調子がよくないです。
膝のリハビリも行っています。
同時に、首のけん引もして貰っています。

あちらこちらに痛みがあって、体にガタが来ています。
中年親父ですから、仕方がないです。

道家などは、丈夫な体に生まれて来ても、常に怪我をされています。
全治何年もの怪我をされていると、聞くこともあります。
格闘家などと言われて、商業ベースに乗れば、ショーとして格闘をしなければなりません。
日頃の試練が必要になります。

体の小さな私としては、大きな力を出すには、やはり機械に頼ります。
私達世代なら、ガンダム世代でもあります。
初代のアムロ世代です。
私たちの世代は、モビールスーツに憧れました。
今でも、個人のレベルで、こうしたガンダムモデルを研究して、製作されている方も多いです。

しかし、軍事産業として量産化されるのなら兎も角、現実的ではないです。
もちろん、軍事利用されるなら、現実的なものになります。
やはり、二足歩行できる機械としての利用なら、需要もあるでしょう。
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機械としてなら、二つのアームを手のように使う建設機械はあります。
タカラトミー No65 日立建機 双腕作業機 アスタコです。
ちょっと格好いいです。

男は、こういうロボット的なのが、好きですからね。
フランキー将軍的なものに憧れますよ。

操作は、双腕ならいろいろなことが可能です。
まさに、宮本武蔵二天一流(俗称 二刀流)の如きでしょう。
はたして、本当に戦いにて、同時に二刀を使っていたのかは、定かではありません。

二刀使う事の意味が、どうも見えて来ません。
それなら、ゾロの三刀流もありかもしれません。

しかし、生涯で60幾度の試合をして負けたことがないと言うのですから、何か特別なものがあったと思われます。

先日、テレビ朝日開局55周年記念 2夜連続ドラマスペシャル「宮本武蔵」やっていました
ね。
主演は、ご存知、キムタクこと、木村拓哉さんでしたね。
好き嫌いの分かれるところです。
どうしても、キムタクが演じていると言う壁を感じる方は、感情移入できません。

私は、見られますけどね。
でも、私の一番注目していたのは、京の一条下がり松での、吉岡一門とも決闘です。
76対1の死闘です。
どんな風に出来あがるのか、楽しみにしています。

ある意味、現実的な戦いでしたね。
機械的な映像処理はされていたモノの、戦での死闘しては、迫力がありました。
剣術の戦いではなく、死に物狂いの狂気の沙汰です。

でも、あれが戦場での戦いだと思います。
無闇に刀を振り回して、足なり、手なりを切り込み、喉もとに刀を入れて、殺すことを主眼に置いた戦いです。

多勢であるがゆえに、勝つとは決まりません。
気迫の違いが、まざまざ表現されていたと思います。
チャンバラでなく、本当の命のやり取りの死闘でしたね。

ところが、1対1の真剣での戦いは、時間がかかります。
じっとにらみ合いが続くからです。
先に仕掛けた者が、負けます。

相手の刀をかわせば、それで決着が付きやすいです。
ですから、中段に構えるしかありません。
相手の息を計らないと、いけません。
まさしく間合をとらないと、負けます。
2時間以上緊張が続けば、クタクタになると思います。

しかし、76人対1人戦いなら、目の前で人が切られれば、戦意が喪失します。
多勢に無勢とは、違いますからね。
勝ち戦に浸っています。

しかし、実際には、必死の相手とのモチベーションが違います。
本当に、大勢で1人を打ち取るには、飛び道具の用意が肝要です。
つまり、弓矢や鉄砲です。

やはり、武蔵の強さは、精神的な強さだと推測されます。
ただ、研究に因れば、60戦の決闘にも、こうした卑怯な行いがあったように聞きます。
1対1の戦いではなかったと聞きます。

武蔵との決闘で滅びたとする吉岡一門も、その後も存続しています。
剣法だけでなく、本業の染屋としての生業があります。
吉岡染という物があるやに、聞きます。

要するに、史実とは少し違うのが、武蔵伝の話です。
それなら、宮本無茶師じゃないですからね。

宮本無茶師と言えば、「『南坊録』 中村直勝著 浪速社」を思い出します。
読み終わると、不覚にも、目から一筋の涙を流してしまいましたね。

ただ、時代劇、剣術好きの私としては、キムタクの76人対1人の吉岡一門の死闘は、迫力がありますね。
スター・キムタクではなかったと思います。
俳優・木村拓哉として見られました。

日々の暮らしに、ささやかな幸せがあります。
ありがたいと感謝して暮させてもらっています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、一乗寺下がりこの木なんの木の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。