''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

嫁の戦利品 丹波の黒豆の枝豆 より。

朝からどんよりした大阪の空模様です。
私の気分も、少々下降気味です。
娘の寝言に目を覚ましてみたら、時刻は午前2時30分近くでした。

なんだかなぁと、それ以来目が覚めて、トイレに行ったりしても、気持ちが落ち着かず、寝がえりを打っては、まんじりともせず、5時半過ぎになってうとうとしたような所です。

なんだかなぁと言えば、「そうかい!爽快!阿藤快!」の阿藤 快さんを偲ばれます。
2015年逝去されていますので、あれから3年かって感じです。
時の流れは、速いと感じます。

時の流れが速いと言えば、我が家の姫さまのゆうゆうも、もう少しで3歳になります。
800g以下で、この世に生を受けて、医療器械なくして、生きる事も出来ない最中、何とか乗り切って、我が家に帰って来て、今度は嫁が難病で3度の入院をして、その最中岳父の逝去と、何が何だか分からないままの速くて苦しい期間の3年と言う事になります。

いろんな事があり過ぎて、整理もつかないままのゆうゆうの保育園生活の始まりでした。
それが、もうすぐ3歳になると言うと、いろいろと親としては感慨の気持ちです。

と言う事は、嫁の仕事の転属替えも1年半近くになると言う事で書絵うかね。
携帯電話の電波も届かない山の中の僻地で勤務してい居ります。
そんな所が、大阪から通勤で行ける所があったのに驚きます。
1時間に1本ほどのバスでの通勤は、なかなか容易ではありませんね。

それでも、残業がなく帰ってくる時間もある程度読めますので、その意味ではこの転属替えも、我が家には良かったと思えます。

そんな僻地から時々いろんなモノを持ちかえます。
時には、野菜であったり、筍であったりです。
近くの無人販売所に売られていたり、敷地に筍が自生するので、採取したモノを御裾分けして貰って来ます。
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昨日は、丹波の黒豆の枝豆でした。
仕事場の方が、休日に丹波に行かれたみたいです。
そのお裾分けです。

黒豆ですから、もちろん、豆の薄皮が少し黒いです。
外皮は、普通の枝豆とそれほど違和感がありませんが、少し色が濃い位です。
もちろん、味はいいです。
豆の濃厚な味わいがあります。

我が家では、枝豆は、熱々と決まってます。
枝豆の熱い方が、豆の香りも強く甘味が強く感じます。
ガスレンジで茹でている最中は、一時も目を離しません。

枝豆の房の幾つかの鞘が開く頃愛が、茹であがりのサインです。
ザルに熱々の枝豆を救って、よく水気を切って、塩を振ります。
よく塩を馴染ませて、皿に移して、頂きます。

枝豆は、熱々に限ります。
居酒屋で、枝豆が冷たいのは、すぐに出せるメニューにしているからです。
とりあえず、ビールと枝豆となりますからね。
でも、丹波の黒豆位になると、やはり熱々の味にしないと、黒豆の旨みが分かりません。

熱々の枝豆を口中に放って、そこに発泡酒を流し込む。
これは、ささやかな庶民の幸せです。
もちろん、嫁もゆうゆうも食べています。

2歳児ゆうゆうには、形が何だか分からないので、食べがよくありませんが、味は美味いと思っているみたいです。
黒豆の枝豆は、粒も大きいし、甘味がありますね。
あまり、枝豆を食べない嫁も、お替りしていました。

この日の夕食のメニューは、豆尽くしになりました。
枝豆、豆腐ステーキの野菜あんかけ、厚揚げ豆腐の焼いたんと、出汁巻き玉子でしたね。
ほぼほぼ、イフソラポン尽くしです。

体にはいいですね。
2歳児ゆうゆうは、豆腐が好きです。
その分、しっかりと出汁が効いていないと食べません。
日々家族の健康管理を心掛けています。
ありがたいことです。

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。