''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「かたつむり」と「なめくじ」

蝸牛(かたつむり)と蛞蝓(なめくじ)は、共に漢字にすると立派な感じがします。

ともに、俳句の季語にあたり、仲夏(太陽暦6月、旧暦5月)を指すものです。ちょうど良い季語です。紫陽花(あじさい)に蝸牛(かたつむり)は、絵になります。

でも、「なめくじ」となると害虫扱いです。かたつむりも害虫です。でも、そんなイメージは薄いです。

両者は、生物的に近しく親戚関係と言えます。どちらも雌雄同体です。人間で言うなら「組合」の方でしょうかね。一匹では子供出来ませんが、二匹いると子供はできます。そういう意味では大変便利です。 その点は、やはり人とは違うようですね。

禅の言葉、禅語に
「眉毛橫眼上」眉毛眼上に橫たわると読みます。
(横たふと書かれているものがありますが、本文はこれで通します)

眉毛は、まゆ毛です。まゆつばものの「まゆ」です。まゆ毛は、不必要なようで、なくてはなりません。ないと顔の表情がのっぺりとします。ないとないでお公家さんの「麻呂」のような顔になってしまいます。

でも、まゆ毛は、眼の上にまゆ毛があるからと言って、自分の方が偉いとは言いません。また、眼も下にあるからと言って卑下しません。当然です。

でも人は物の上下を付けたがります。不思議です。当の本人は何の考えもないのに周りが、世間が決めるのです。それが世間の順位ということになります。

常に人は社会にいる以上、気にするものです。でも、まゆ毛と眼の関係を見れば当然と笑えます。気にしないようにすることも必要です。

その程度のものです。何かに比べていいのか悪いのかそれも大切ですが、それでは常に疲れてしまいます。

意識を少し変えると物事も変ります。段々気にしないようになります。

幸せも人それぞれです。いろんな幸せ有りますよ。健康で美味しくごはんが頂けてよく眠れる。これが幸せです。どんなに金持ちでもそうでなくても、病魔は襲います。人の財布の中身を見て病魔は来ません。そういう意味では平等です。

健康で当然、健康は「無料」なんて思っていて、一旦病気にかかれば、日頃の健康がいかに幸せかわかります。

人の感じる幸せは、相対的なものなんですね。何かと比べることでしかそれを感じることは出来ません。

でも、身一つで幸せ感じるなら、健康で美味しくごはんが頂けてよく眠れる。これが幸せです。この上、家族が同じであることを願います。

そこから始まれば幸せ感もぐっと高まりますよ。
ささやかな事だと受け流すことが必要です。

今ここにあることの「感謝」の気持ちは忘れないで下さい。
幸せのアドレナリンは長く続きません。たびたび「感謝」と言って打ってやって下さい。少量でも効果はありますよ。

今日も最後までお付き合い下さいましてありがとさんです。
今日の私のアドレナリン打っておきます。