''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

晩酌タイムに、鯛アラの兜煮を食らう より。

どんよりとした天気が続きます。
やはり、季節の変わり目ですね。

左足に、痛風発作です。
こりゃ、如何と思いつつ、仕事に行って来ました。
やはり、激痛との戦いになりますね。

ここは少し大人しく生活しないといけません。
痛風発作には、ロキソニンがよく効きます。
痛みを感じれば、服用すると、薬が効いている間は、幾分か痛みが緩和されます。
その薬の勢いで、仕事をこなした訳です。

足は、跛(びっこ)をひいています。
少し痛々しいですね。
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発作が起きる少し前の晩酌タイムに、鯛アラの兜煮を作ってみました。
鯛アラと、痛風発作は、これと言って因果関係はありません。
発作の原因は、季節の変わり目による水分量の変化と気温の変化によると思われます。

鯛アラと言えば、料理屋さんでも出す事がある理料です。
地下の巨大冷蔵庫(チャン場)や冷凍庫には、鯛アラが置かれています。
意外に、オーダーも入ります。
鯛の造りがあるなら、あって当然です。

それを、ボイルした湯にくぐらせて、鱗を丁寧に取る下処理は欠かせません。
もちろん、我が家の鯛アラも、下処理済みです。
湯にくぐらせるのは、一つは鱗を取るため、もう一つ臭みを抜く為でもあります。
湯にくぐらせた鯛アラは、すぐに氷水と〆て、冷まします。

そして、丁寧に汚れや鱗など丁寧に、手で取りきります。
この一手間が、美味い鯛アラに仕上げるポイントです。
湯の中で、さっと色が変わる程度に、くぐらすだけです。

ここで煮過ぎてはいけません。
魚臭さを取る為に、お湯の中に、ショウガとお酒を入れると、より効率的に臭みが抜けます。

後は、水と酒と味醂と砂糖、そして醤油を入れて煮ます。
こってりが好きなら、ザラメを入れて、とろりとした甘辛く煮るのもいいですね。
酒の肴なら、もう少しあっさり目に煮てもいいと思います。

料理屋さんでは、甘辛くこってりしたタイプが好まれるようです。
この日は、家で嫁も食べますので、あっさりとしたタイプに仕上げました。
嫁は薄味好みで、濃い味を好みません。

水でもいいですが、出汁なら昆布出汁がお薦めです。
鰹出汁なら、魚×魚で、味が濁ります。
魚を煮るなら、昆布出汁との相性がいいと思います。

もちろん、臭みを消すために、ショウガは必要です。
鰯なら、ショウガでも梅干しでもありです。
鯛アラも、梅干しでやってみたい気もします。

アラも鯛なら、出世した感じになりますね。
鮭アラより鯛アラの方が、上に思います。
鯛アラと、鰤アラなら、料理の仕方にもよりますが、一般的には、鯛アラかもしれません。
腐っても鯛と言うくらいですからね。

でも、鰤アラ大根や鰤カマなら、鰤アラの方が、私の好みです。
同じ魚のアラですから、大差はないかもしれません。

禅語に、「眉毛横眼上」(びもうがんじょうによこたわる)と言うのがあります。
いろんな意味があるようです。
ある意味においては、何でも見える目でも、目の上にある眉毛は見えないものです。
近くにあって、存在も知らない事もあります。

人は生まれながらある仏性をあるにも関わらず、それを他に求めようとすると言います。
遠くに行かないでも、すぐそばにあるのに、人は遠くに求めようとしてます。
ある意味、幸せも同じです。
無くして初めて分かる大切な日常の中にこそ、幸せがあるんです。
同じくして、道に近きにありです。

違う意味は、眉毛は、眼の上にあるからと言って、私の方が高い地位あるとは言いません。
眼の方も、私の方が下だと卑下もしませんよ。

単に眼の上に眉毛があるだけです。
単に眉毛の下に眼があるだけです。
ただそれだけの事です。

いわゆる自然の摂理の中に、私達が住み暮らしています。
世の中に、社会的格差があり、平等でないのは、事実です。
それはそれで、それだけの事です。
竹の上下の節はあるのは、当然です。

その上で、仏の世界では、差別即平等、平等即差別こそが、不易(ふえき)の真理と呼ばれるみたいですね。(『禅語の茶掛 一行物』羽賀幸四郎著 淡交社刊 一部抜粋一部参照)
あくまでも、現在の存在は、仮のモノです。

富みや名誉だけ求めて、幸せは少ないように思えます。
何気ない日常の暮らしの中に、幸せがあるように思えます。
無くして初めて分かるのは、空虚です。

それも分かっていていながら、貧家のひがみと笑って下さい。
「銭あれば あるにまかせて欲しくなる なければないで 猶欲しくなる」
山岡鉄舟の和歌を思い出します。

ランボルギーニ・ムルシエラゴでも乗りながら、言ってみたいですよ。
左ハンドル運転出来るかなって、心配するのは、空虚過ぎます。
って言うか、日本道路では、運転し難いでしょうね。

ユーチューブやDVDの動画で楽しむのが、私には楽しいです。
それが、自分の分です。
ちょうどいい、自分にあった分があるだけです。
眉毛も、眼も、あるようにあるだけです。

でも、鯛アラの楽しみは、鯛の眼の部位ですよ。
ここが一番美味い部位の一つです。
上品なコンソメスープのような特別な味がします。

ご馳走様でした。
自分にあった幸せが、ここにもありました。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、眼付け合った話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。