''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

内蔵助の父方親族 奥村 具知 曽祖父良勝の弟

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赤穂藩 筆頭家老 大石内蔵助良雄 血縁関係 の「け」 

 

奥村 具知(おくむら ともとも)

元和8年(1622年) - 延宝7年2月18日1679年3月29日

江戸時代前期の越中国富山藩前田家家老

富山県富山市の史跡のひとつ「七面堂」の創立者通称として蔵人の官職を僭称した。

 

常陸国笠間藩赤穂藩への移封前)浅野家の筆頭家老大石良勝の三男として生まれる。

母は大石良定の三女。

 

兄弟

兄に大石良欽赤穂藩筆頭家老1500石)と大石良重赤穂藩家老400石)。

弟に小山良秀大石良次

姉に進藤長定公家近衛家の諸大夫)の室。

妹に進藤俊順赤穂藩士。進藤俊式の父)の室。

庶子であるため、富山藩前田家の重臣奥村家の養子に入る。

富山藩では800石を支給され、家老職をつとめた。

 

万治の頃、所領である富山呉羽山紅葉坂の地に御堂を建て、ここに甲斐国身延山山梨県南巨摩郡身延町)の七面大明神と同じ木像を作って祀った。のちにここは「七面堂」と呼ばれ、歴代富山藩主に拝まれる場所となった。

 

5男2女あり。

次男は富山藩家臣の不破家に、三男の直貞は、富山藩家老家の富田家(6500石)に養子に入っている。延宝7年(1679年)に死去。享年58。

 

ウィキペディアWikipedia)』参照

 

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