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三尾 正長(みお まさなが)
1654年7月14日(承応3年6月1日) - 1713年11月19日(正徳3年10月2日)は、江戸時代前期の徳島藩蜂須賀家の代々家老を務めた池田家(蜂須賀山城守)の第3代。
通称は官兵衛。号は豁悟。別名 池田正長。
母 近江三井寺山内円満院坊官西坊(にしのぼう)家初代胤清(たねきよ)の長女亀(かめ)。
赤穂事件、赤穂藩浅野家家老の大石内蔵助は、従姉池田熊子(父・玄寅の兄池田由成の娘)の長男にあたり、浪々の内蔵助に対し、正長は資金援助をしていた。
内蔵助は正長に、吉良邸への討入前日12月13日付で手紙を書いている。永遠の別れを告げる「いとま乞い状」と呼ばれる。
関連事項
蜂須賀隆重 - 阿波富田藩初代藩主。赤穂事件の吉良上野介邸の隣に屋敷があったと言う。