''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

極月。

今日から12月になりました。1年の最後の月です。
多くの方が「師走」と書かれます。師も走るほど忙しい月だから師走などと俗に言われますが、その言われは定かではないようです。師馳せるという言葉からではないかと物の本で読んだ覚えがあります。

しかし、播州人の私としては極月(ごくげつ)です。
極月半(なか)ばの14日(じゅうよっか)と言えば忠臣蔵ですね。
赤穂浪士が主人の仇を討つべく吉良上野介を討ち取る話です。

時代劇は、ちっょとムリーなんて言わないで下さい。(若い女の子風に)
この話、事件から300年も経っても映画にドラマに、もちろん歌舞伎、講談、浪曲、落語とあらゆる芸能のカテゴリーを通じて脈々と現代にも繋がっています。

ときにキムタクが堀部安兵衛を演じて、どうかと思っていましたが、なかなかいい演技でしたね。これが後の時代劇の映画『武士の一分』にも繋がって行きます。キムタクも時代劇ありですね、なんて思いました。

真実とは別にイメージ先行で面白おかしくデフォルメされた話でもあります。
師走と言えば「忠臣蔵」が定番でしたね。時代劇と言えば「忠臣蔵」です。
日本人のエッセンスが詰まっています。時代は元禄時代、ちょうどバブルです。
経済は絶好調、芸術も最高期、しかし、政治は最低ですね。
賄賂横行、お金がすべての時代です。

政治は五代将軍綱吉の時代です。犬が人間よりも偉いそんな時代でした。犬はお犬さまです。食事も人間以上の食事を与えて、幕府が犬を保護する。そんな無着句茶な政治です。

でも経済が安定しているので、どうでも良かったんですね。
現代にも通じてます。経済、政治、ペットといい、バブル期の日本によく似ています。

こんな中にあって武士道を貫くことが、もてはやされたのかもしれません。
人としての生きる道がどこにあったのか、現代人にも通じる問題です。

忠臣蔵ご存知のない方のために、簡単にあらましを書き記します。

帝の使者を接待するお役を受けていた浅野内匠頭(たくみのかみ)がその式典の指導役の高家筆頭、吉良上野介(きらこうずけのすけ)に口論になり、松の廊下(江戸城内)で斬りつけ、その日に幕府より切腹の沙汰を受けます。

当時の定めは、鎌倉幕府よりの喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)です。どんなことがあっても両方が処罰されることになっています。それにもかかわらず、浅野家だけが処分。吉良家は温存。この幕府の決断に不服を唱え、元家老・大石内蔵助(くらのすけ)が元家臣総勢47人で敵の吉良の首を取り成功した一連のあだ討ちのお話です。

当然忠臣として社会現象となりますが、武士の誇りとして46人が幕府より切腹の決定が出されます。ただ一人、生き残った寺坂吉右衛門(きちえもん 当時38歳)は、多くの人に詳細を報告する使命を受けて83歳でこの世をさります。寺坂には諸説ありますが、大石から特命を受けていたと見る方がいいように思います。そのため資料『寺坂筆記』が残っています。しかし、寺坂は晩年までこの事件のことは多くを語りたくなかったようです。必ず、誰からも聞かれるからでしょうね。

仇討ち、復讐と言うといつまでも続く永遠のテーマでもあります。
しかし、本当の忠臣蔵には多くの悲劇がこの後、関係者に待っています。
討入り以後に、事件が発生します。
イメージ 1

少し前古本市で上記写真の本見つけました。
面白い物が入っていました。
でも、こちらは明日へのお楽しみです。懐かしいものですよ。

数百年前の事件が今も上演されます。
歴史は繋がっています。

ここに私や皆さんが存在するのも、偶然の偶然です。偶然の偶然は必然です。何百人何千人のご先祖さまか一人でも欠けると今の自分はいないです。

そういう意味では選ばれた人なんですね。
何のために選ばれたのか?
そこには天命があります。

生きているのでなく生かされています。
ありがたいと言う感謝の気持ちを持ちながら生きていくと気持ちが楽になりますよ。
そうありがたいです。

最後まで読んで下って本当にありがとさんです。
せっかくなので、いろいろな忠臣蔵を今月のテーマに加えたいと思います。
よろしくお願いいたします。ありがとさんです。