''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

『AMADEUS アマデウス』より

ブログを書いてるとよく言われるのが、そんなに書く事がよくあるね、と言われます。
確かに最初は幾つか書きたい事もあると思うが、そのうちにネタが尽きると言う状態に陥る事はあると思います。

私はあまりそれがないですね。
ふと今日晩ご飯は何を食べようと考える感じです。
夢の中での話や昨日あった事でも何でも書けると思います。
でも自分なりに書きたいと思わせるネタを探すことは必要です。

ブログを書くに当って機会があれば、『AMADEUS (アマデウス)』について書いてみたいと思っていました。
『AMADEUS (アマデウス)』はモーツァルトをテーマにした映画です。

モーツァルトの本名は、ヴォルフガング・アマデウスモーツァルトです。
そのセカンドネームが映画のタイトルです。
1984年度アカデミー賞8部門(作品・監督・主演男優賞他)を獲得した名作です。
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クラシックが好きと言うわけでもありません。
しかし、当時としては衝撃的な作品でした。
天才モーツァルトの生涯を描くストーリーにしてはイメージが違っていました。
華やかな生活と浪費癖、生涯最後の死にも納得行かないですね。

あの天才モーツァルトの最後にしては哀れすぎます。
数十の共同墓地の中に遺体が掘り込まれるシーンは哀れすぎます。

天才としての才は神が与えたものです。
一度耳にした音楽は忘れない才能、作曲家として天から聞こえる音楽を楽譜に奏でるそんなイメージです。楽譜に書き直しはないようです。

頭の中で、メロディーとアレンジ、楽器の構成も同時に成し得たのかもしれません。
やはり天才はいます。神から選ばれた人物です。
しかし、天才と呼ばれる人物とその人間性は比例しません。幸福とも比例しません。
それがこの映画にはよく現れています。

場の雰囲気を読まず、馬鹿げた高笑いがすべてを象徴です。
モーツァルトを演じた トム・ハルスの名演が光ります。

本当にモーツァルトがこうした人物かは分かりません。
しかし、陰と陽の二面のある人のようですね。

主人公は、アントニオ・サリエリです。
非凡な努力家です。一時の名誉だけで、後世にも曲は多くが残っていないようですね。
あくまでも、モーツァルトと対比するデータとしての作曲家として位置づけでしょうかね。

彼には唯一、天才を分かる才があったようです。
それは私にも分かります。

そのサリエリから見たモーツァルトの人生を描いています。
作品の出来もさることながら、やはり随所に聞かせる名曲が映画を盛り上げます。
当時の音響にも気を使われています。
名作です。後世に伝えたい名作です。
そんな映画です。

モーツァルトの人生は、35歳という短い人生でした。
太く短い人生です。
人の倍以上の、密度の濃い人生であったかもしれません。

でも幸せであったかどうだかは、本人しか理解できない人生の答えです。
モーツァルトは、しっかりとした自分の世界観があったように思えます。
その思いのたけを作曲という作業に投じます。
作曲数は600を超えているようです。

ご存知の通り、モーツアルトの作品はKという記号がつきます。
これは後にケッヘルという人がモーツアルトの作品を整理してつけた番号です。
学生の時にも習いましたので知っています。

しかし、モーツアルトの曲の未完作品に、他の作曲者のものであったり、あとでモーツアルトの曲がみつかったりして番号には欠番や付加番号があったりもします。
それにしても短い人生の中で相当数の作品です。

今の作曲と違い、曲自体も長いですし、楽器の数も多いです。
オペラもありば交響曲もあります。

今とは比べ物にならない作業だと推測されます。
ですから整理するような人物が来た事も当然の成り行きです。
未完成の作品もあると聞いています。

音楽漬けの人生です。ここまで来れば、天命ですね。
楽しいというより、使命として天から頭に流れる音楽を、頭から外に書き出す作業をしていたという感じだと考えます。

大変です。
寝ていても、突然音楽が頭の中で鳴り始める訳です。
トイレに居ても風呂に入っていても同じです。

一度聞いた音楽は忘れない才があります。
膨大に頭の記憶のメモリーもフルの状態です。

天からの使命には逃げられません。
選ばれた人物にもこうした苦悩はあります。
気分を変えないと気が変になると思います。
天才には奇行が多いのもそうした訳かもしれません。

ですから、35歳は早すぎる人生ではなかったように感じます。
人の3倍は頭を使い続けていたことでしょうからね。
24時間音楽三昧です。

人は24時間に使われるのか、人が24時間を使うのか、どちらなのでしょうね。
人それぞれの気持ちの持ちようです。

人にはそれぞれ天から与えられた使命があります。
生きているわけでなく、生かされていると自覚する必要があります。

非凡であったことを主(私は仏さま)に感謝します。
ごく普通に人として生きていける日常にありがたみを感じます。

特別な出来事は、毎日必要ありません。
日常であることに感謝します。ありがとさんです。

最後まで長々お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。