''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

智積院さんを散策してみました。その1より

今日も朝から、日差しの強い京都伏見です。
昨日は、ゲリラ雨が昼過ぎに降りましたね。
あちらこちらで、こうしたゲリラのような集中豪雨が発生します。
子供の頃の昭和には、あまり見かけない雨と言えます。

 

天をひっくりかえしたようなという表現もそぐわないほどの、ゲリラ的な短時間の雨ですね。
スコールというような、亜熱帯に日本もなったのかと、危惧しますね。
それなら、家でパインやバナナの木も育つかもしれませんね。
前向きな生き方です。

 

昨日は七夕話に一拍起きましたが、おとといの話の続きです。
鴨川の昼ごはんを終えると、七条通りを東に進みます。
ドンつき、京都では行き止まりをドンつきと言います。
通りがTの字になっています。
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その七条と東大路のドンつきが、真言宗智山派の総本山智積院(ちしゃくいん)です。
ここで、有名なものと言えば、長谷川等伯の楓図とその息子・久蔵の桜図の絵画ですね。
長谷川等伯は、最近国立博物館でも特別展がありましたから、そのイメージも強く残っています。

 

若くして25歳でこの世を去った息子・久蔵の傑作・桜図は一見の価値ありです。
すばらしい作品です。
この作品を見て、私は落語の「抜け雀」の記事を書きました。
仮説ですが、私としては、この親子が、長谷川等伯・久蔵のイメージではないかと感じていましたね。
イメージ 2

山門は、あっさりとしています。
そこには、花の回路のお出迎えです。
上まで続いています。

 

その途中に、講堂の入り口で拝観料金500円を払います。
しかし、この日は得意の裏技で、50円引きで拝観出来ました。

 

こっちこっちと、まずは国宝の障壁画のある美術館に入ります。
こじんまりした館の中には、障壁画が和室の様相にして取り付けてあります。
60畳ほどの大広間です。

 

その大広間に、等伯、久蔵、弟子たちの障壁画や襖絵が部屋の周囲を飾ります。
奥には、書院造りの上位の間があります。
金箔の貼られた荘厳な書院です。

 

入ったときから、10数分は貸切状態です。
板の間に正座して、上位の間に、時の権力者をイメージして、私とお付の者が、二人並んで正座で頭の下げて拝謁の図です。
監視カメラは回っていますので、頭の可笑しな二人連れです。

 

しかし、実際正座して拝謁すると、いろいろな物が見えます。
目線の高さとか、書院の後ろの金箔と松の色合いとか、実際に拝謁して見ないと分からないことが多いです。
間近に近寄って拝謁はかないませんので、5メートル以上離れています。

 

そうすると、書院が一つの額に入った絵画のように納まりがいいんです。
書院の前で見る雰囲気とは全く別物です。
意識的にそうした構図で描かれていると、肌で感じます。

 

息子の久蔵の桜図は、傑作です。
色がだいぶと落ちていますが、迫力があります。
筆の息遣いが、その場の怨念のように、息苦しい感じすらします。
久蔵の魂が、この名画には込められています。
もっと長生きしていれば、きっと父等伯に肉迫した絵師になっていたはずです。

 

人はそれぞれに人生があります。
人は、人の短命を見て、悲しいといいます。
しかし、限られた時間であったために、その充実した時間を過ごせたはずです。
天才は、その資質においても、力量においても、いろんなタイプがあります。

 

天才は、天才の苦悩がありますからね。
沸き出ような創作力があれば、名作を書き続けられます。
しかし、多くの天才は、その持って生まれたてんぴに陰りがあるものです。
天才としての限界点がそこにあります。

 

若いしてこの世を去ったということは、その苦悩をしらないまま、絵師として持てるすべてを投入出来た傑作を描けたということです。
もっと幸せなのは、こうして後世に名画が残ったと言うことです。
絵師としては、最高の名誉です。

 

安土桃山時代は戦乱の世です。
天才絵師が描いた名画は、戦火に消し去られます。
残っているのが不思議です。

 

こうして、大寺院に残っていること事が、縁です。
仏縁なのかも知れません。
ありがたいことです。

 

残念なことに、若くして世を去った久蔵は、その魂は永遠にこの名画とともに残ります。
来世には、きっと健康な体を得て、有名な絵師として、名と名画を残しているはずです。
それが誰だかと、み仏のみ知ることです。

 

この絵画に出会えたことは、私にとっても大切な仏縁です。
ありがたいと感謝します。
話は、まだまだ続きます。

 

今日一日、私も世の中も、平穏無事を祈ります。

 

最後まで、絵のない話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。