''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

大本山相国寺の承天閣美術館へ、いらっしゃい より。

昨日と言わず、今日と言わず、雨です。
今日も、一日中、大雨の予報です。
土曜は、晴れて良かったです。

土曜、出町柳で鴨川を背に、ゆっくり過ごした昼ごはんでした。
食後は、そのまま、今出川通りを西に向かいます。

寺町過ぎれば、すぐに御所です。
暫し、御所のベンチに座り、行き交う人を眺めます。
自転車も、人も通ります。

若い人も、年配の方も、子供さんも歩きます。
御所といえど、ほぼ公園ですね。
内裏やらの施設は、厳重に警戒され、皇宮警察のパトカーが、見回ります。

壁近くには、パッシブセンサーが設置されていますので、壁に近づくと、警報音がなります。
知らずに何度か鳴らした事があります。
大型のカメラが、あちこちに配備されていますので、不審者として、記録されているかも知れません。

心臓のバイパス手術を成功され、先日退院された天皇陛下も、幾度と来られた御所です。
早く平癒されますことを祈ります。
3月11日の式典に、臨席のご意向の為に、早い時期での退院に、少し心配はありますね。

京都の年配者の方には、天皇さんが、暫く東京に行かれているだけで、その内帰って来られると言われる方が居ます。
天皇のおわす御所は、京都にある、つまり京都が今も都と言われるのですね。
京都も変わった場所柄です。

京都駅前のビルの一室に、私設の京都第二国会設置の施設があります。
「えー」って思いますよね。

京都には、今も中心地であるという自負がどこかにあるのでしょうね。
文化の中心地であることは確かです。

この日行った大本山相国寺も、京都五山の一角です。
今でも、多くの本山や大本山が京都にあります。
どこか京都にお出でになると、そうした日本人の魂を感じるのかもしれないですね。

今回の承天閣美術館の催し物は、『蔵館の屏風絵展』《俵屋宗達筆 蔦の細道図屏風修理完成記念》となっています。
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同社大学の門を横に通って、大本山相国寺の寺領に入ります。
相国寺(しょうこくじ)は、臨済宗相国寺派大本山の禅寺です。
山号を萬年山(万年山)と称し、正式名称を萬年相国承天禅寺(万年相国承天禅寺、まんねんざん しょうこくじょう)と言うようですね。

本尊は釈迦如来、開基は足利義満、開山は夢窓疎石である。
足利将軍家伏見宮家および桂宮家ゆかりの寺院であり、京都五山の第2位に列せられている格式です。

相国寺は五山文学の中心地であり、画僧の周文や雪舟相国寺の出身であるとして知られています。
意外なことに、京都観光名所として有名な鹿苑寺金閣寺)、慈照寺銀閣寺)は、相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)であると書かれています。(Wikipedia参照)

京都国立博物館雪舟展にも、行きましたからね。
この寺は、歴史の上でも、日本文化の一角ですね。
今回の展示も、俵屋宗達円山応挙、呉春、長谷川等伯伊藤若沖狩野探幽を始めとした狩野派の絵師、与謝蕪村、原在中、周文など、やはり豪華ですね。

中でも、呉春の竹図屏風は、良かったです。
空間の魔術師、余白の伝道師、想像させる無限の空間が、そこにありますね。
うーん、唸りましたね。
池田の逸翁美術館でも、充分呉春を堪能したと思いましたが、こんなお宝がまだまだあるのに、唸ります。

伊藤若冲の襖絵も良かったです。
いつも常設展示されている金閣寺の内部が、一同に見れます。
頭の中で、襖絵を空間に配します。

金閣寺の大書院に座っています。
何とも、空間の心地よい事です。
いつも見れなかった分、想像以上です。
今回来て、よかったです。
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今回も、同行カメラマンの招待状で、ご招待頂きました。
いつもながら、ありがとさんです。
この美術館を2時間近く居ましたね。

第一展示室と第二展示室の合間に、お庭があります。
ここに腰掛けて、休憩もいつものようです。
まるで、我が家庭のような振る舞いです。

同行カメラマンに至っては、足が冷えると、ユニクロの上履きのソックスを履いています。
滑り止めも付いていますので、良いみたいです。

正面に、白い椿が落ちています。
暫し眺めます。
いい時間の過ごし方です。

そう言えば、いつものような第一展示室に茶室「夕佳亭」があります。
茶室の拵えに、興味深々です。
床の軸は、仙厓義梵(せんがいぎぼん)墨蹟「直指人心見性成仏」です。
うーん、仙厓義梵和尚の書が見れました。

臨済宗妙心寺派の和尚さんです。
縁あって、40歳から62歳に至る23年間を福岡の聖福寺の第123世住持として、過ごされた禅僧です。

特に、○△□図 (出光美術館) 紙本墨画が有名ですね。
少しユニークな絵を描かれます。
白隠禅師にも通じますよね。
もっとお手軽に、紙を持っていけば、誰でも絵に描いてくれるという、親しみやすい和尚様です。

ですから、こんな狂歌が残っています。
「うらめしやわがかくれ家は雪隠か 来る人ごとに紙おいてゆく」
雪隠は、トイレです。
トイレみたいに、誰もが絵を書いても、紙を持って来る、それじゃ、まるでトイレと変わらないという意味でしょうね。

辞世の言葉は「死にとうない」いう逸話が残っています。
事実は知りませんが、何とも庶民的な目線で生きられた禅師です。
私は、この仙厓義梵和尚は好きですね。

でも、多くは絵が多いです。
それが、まじめに「直指人心見性成仏」とは、その辺に驚きました。
この書は、禅の四聖句(しせいく)の2つを書かれています。

その意味は、「誰もが真理の悟りに辿り着く可能性を持っている。ただ自分の内なる心の声に耳を貸し、仏性を探り当てればいい」と、そんな大意でしょうかね。

私の心は、ここにあります。
座禅をしなくても、山中に入って特別な修行をしなくても、私はここに居ます。
悟りたいという欲を持てば、悟りは遠退く、悟りは自ら近づいてくるのでしょうかね。
道は近きにありです。

日々の暮らしの中に、そこにあります。
幸せは、身近に落ちているものだと思います。

途轍もない大きな幸せは、ありません。
日々の暮らしの中、ささやかな幸せがあります。
見つけるか、見つけられないかだけです。

宝くじは当りません。
でも、当るかもと感じる気持ちが、幸せです。
実際大金が入れば、幸せでなく、不幸が襲うことが多いです。
自分の分をしっかり持っていないと、身を崩します。

大金が入っても、今まで通りの暮らしが出来ればいいのですがね。
人は欲深いものです。
すぐに、高級外車を購入です。
すぐに浪費します。
まだまだ、大金が残っていると思っている中でも、お金は減り続けます。

大金がすべて消費するまで、時間は掛かりません。
それでも、一度付いた浪費の生活に変化はありません。
プラスからマイナスの暮らしに変化です。

あー、宝くじも当ればいいなと思っている間が、一番の幸せなんですね。
大金の有無、貧富の有無に関わらず、心の世界とは、関係ないです。
でも、当りたいです。(凡夫の悲しさですね)

何を思い、何を考え、どう暮らすのか、いつも通りの暮らしが、やはり幸せです。
何気ない日常暮らしの中に、幸せがあります。

もうすぐ、3月11日の東日本大震災から1年が来ようとしています。
長かった一年です。
復興計画になんらの進歩もないですね。
一日も早く、日常が取り戻せることが、一番の幸せです。
まずは、日々の暮らしを取り戻せますうに、祈るばかりです。

ありがたいことに私は仏縁を頂けています。
ありがとさんと感謝の心で見れば、日常が少し幸せになります。
花を見て、月を見て、雨音を楽しみ、酒を食らう。
至福です。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、万年貧家の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。