広い御所には、何だか和みます。
昔、御所の近くの仕事場に居た事があります。
少し懐かしい気分でもあります。
昔、御所の近くの仕事場に居た事があります。
少し懐かしい気分でもあります。
御所の今出川御門から、同志社横を通ると、そこは大本山相国寺です。
相国寺、正式名称・萬年山相国承天禅寺といい、明徳3年(1392)に夢窓疎石禅師を開山とと、室町幕府3代将軍・足利義満公によって、創建された臨済宗相国寺派の大本山と聞きます。
相国寺、正式名称・萬年山相国承天禅寺といい、明徳3年(1392)に夢窓疎石禅師を開山とと、室町幕府3代将軍・足利義満公によって、創建された臨済宗相国寺派の大本山と聞きます。
そんな文化的な中に、能があります。
現在でも、芸能と言う言葉に、能が含まれて居ます。
現在でも、芸能と言う言葉に、能が含まれて居ます。
北朝歴・応安7(1374)年、17歳の足利義満公が、今熊野猿楽で12歳の美少年・世阿弥を見て、大きく能が寵愛されます。
能を確立した観阿弥、世阿弥の二人にして、観世流の能が勢力を持つ基盤になっていきます。
その後も、徳川家にも、大名家の嗜みとして、有力大名の後ろ盾を得ます。
能を確立した観阿弥、世阿弥の二人にして、観世流の能が勢力を持つ基盤になっていきます。
その後も、徳川家にも、大名家の嗜みとして、有力大名の後ろ盾を得ます。
今年は、観阿弥生誕680年、世阿弥生誕650年の記念の年だと言う事です。
そこで、相国寺承天閣美術館で、「観世宗家展」が開かれています。
能は、やはり難しいと感じますね。
しかし、その能の衣装・能装束や能面が、いろいろな姿を見せてくれます。
そこで、相国寺承天閣美術館で、「観世宗家展」が開かれています。
能は、やはり難しいと感じますね。
しかし、その能の衣装・能装束や能面が、いろいろな姿を見せてくれます。
特に、衣装の創作力には、日本の染色や織物の技術力の高さを感じさせます。
平たく言えば、そう立派な内掛けみたいに感じます。
手の込んだ細かい文様に、しばし見入ってしまいます。
平たく言えば、そう立派な内掛けみたいに感じます。
手の込んだ細かい文様に、しばし見入ってしまいます。
中国湖南省の洞庭湖に一人、舟を浮かべ、月に対する情景を詠んだ句「孤舟載月洞庭湖」の一節のようです。
ホームページの解説によると、利休の名である『宗易』の署名と亀判花押が書かれているとの事ですが、「宗」しか遠くからでは確認出来ません。
それにして、いい字です。
書は人となりを表すと言います。
ホームページの解説によると、利休の名である『宗易』の署名と亀判花押が書かれているとの事ですが、「宗」しか遠くからでは確認出来ません。
それにして、いい字です。
書は人となりを表すと言います。
何もそんな遠くの洞庭湖に行かなくても、鴨川があるじゃないですかね。
鴨川の上の舟でも、月は見えますよ。
それとも、禅語の「東山水上行」のように、東山でも舟で行きたかったのでしょうかね。
私なら、便利な「おけいはん」こと、京阪電車で向いますよ。
鴨川の上の舟でも、月は見えますよ。
それとも、禅語の「東山水上行」のように、東山でも舟で行きたかったのでしょうかね。
私なら、便利な「おけいはん」こと、京阪電車で向いますよ。
と言いながら、書も今回はいろいろと見えました。
世阿弥筆の「花伝第六花修」や「花伝第七別紙口伝」など、世阿弥の人となりが見えるような心持です。
ここに「秘する花」が何処かに隠れているかもしれません。
まるで、ウォーリーを探せのように隠れているかもしれません。
世阿弥筆の「花伝第六花修」や「花伝第七別紙口伝」など、世阿弥の人となりが見えるような心持です。
ここに「秘する花」が何処かに隠れているかもしれません。
まるで、ウォーリーを探せのように隠れているかもしれません。
書は、他にもありました。
義満公の重要美術品の「放下便也」はこれまた力強く感じます。
また、一休禅師の「大燈仏法」の書も凄いです。
意味も深いです。
大燈国師の法嗣として、如何に思うものがあったかと思いますね。
義満公の重要美術品の「放下便也」はこれまた力強く感じます。
また、一休禅師の「大燈仏法」の書も凄いです。
意味も深いです。
大燈国師の法嗣として、如何に思うものがあったかと思いますね。
茶碗も、見入った物に、「砧青磁茶碗 銘雨龍」も、何とも言えず印象に残った名器でしたね。
釉中に釉だまりがあり、口辺から高台にかけて一本の貫入が橋って金つくろがあると言うのが、みどころでもあるようです。
釉中に釉だまりがあり、口辺から高台にかけて一本の貫入が橋って金つくろがあると言うのが、みどころでもあるようです。
東山御物の中に、凄い物を見つけました。
義政公所持である東山御物 「唐物小丸壷茶入」、その下に敷かれている 「添唐物青貝四方盆」、この組み合わせは、引き込まれます。
螺鈿の細工の細かい事ですね。
小丸壷の正面に、かすかな釉薬の流れをうっすらと感じられます。
義政公所持である東山御物 「唐物小丸壷茶入」、その下に敷かれている 「添唐物青貝四方盆」、この組み合わせは、引き込まれます。
螺鈿の細工の細かい事ですね。
小丸壷の正面に、かすかな釉薬の流れをうっすらと感じられます。
難しい能にあって、世阿弥の花伝と言われても、世俗の家電芸(能)人を思い浮かべ、砧青磁・雨龍と聞いても、芸人・千原せいじか、アメトーークの「雨」しかイメージ出来ない有様です。
いやはや、歴史の趣に少し触れたような一日でした。
いやはや、歴史の趣に少し触れたような一日でした。
七重八重 花は咲けども 山吹の 実のー(能)つだに なきぞ悲しき
日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝して暮らさせて貰っています。
ありがたい仏縁に感謝して暮らさせて貰っています。
心の三毒を廃し、心静かに安穏にくらしたいです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、源氏夕顔の御所車に引かれたような長い話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。