むしむしとした湿度の高い日が続きます。
今日も朝には、パラパラと雨が降った京都伏見の地です。
今日も朝には、パラパラと雨が降った京都伏見の地です。
昨日に続いて、先週の休みの話です。
智積院(ちしゃくいん)と言えば、長谷川等伯・久蔵親子の障壁画ともう一つそのお庭が有名です。
利休好み庭と伝えられ、中国の盧山(ろざん)をかたどって作られています。
ろざんと言っても、高学歴芸人の宇治原さん・菅さんのロザンと関係はないですね。

五月下旬から六月下旬の五月の花がきれいらしいです。
前回訪ねた時は、花が咲いていました。
今回は少し時期がずれました。
緑一色のお庭です。

平面的なお庭が多い寺院にあって、池を配しながら、急な山のような立体的なお庭は、確かに数寄者の茶人好みと言えますね。
智積院(ちしゃくいん)と言えば、長谷川等伯・久蔵親子の障壁画ともう一つそのお庭が有名です。
利休好み庭と伝えられ、中国の盧山(ろざん)をかたどって作られています。
ろざんと言っても、高学歴芸人の宇治原さん・菅さんのロザンと関係はないですね。

五月下旬から六月下旬の五月の花がきれいらしいです。
前回訪ねた時は、花が咲いていました。
今回は少し時期がずれました。
緑一色のお庭です。

平面的なお庭が多い寺院にあって、池を配しながら、急な山のような立体的なお庭は、確かに数寄者の茶人好みと言えますね。
池面に浮かんだお庭の緑が、周りの緑と相まって、少し非日常の空間です。
大広間の縁側に腰をかけて、40分ほど時間を過ごしました。
銘々に自分のスタイルでこの空間を楽しまれています。
大広間の縁側に腰をかけて、40分ほど時間を過ごしました。
銘々に自分のスタイルでこの空間を楽しまれています。
この背にある大広間は、何か見覚えがあります。
そう、美術館の等伯の楓図、久蔵の桜図、上位の書院の絵画が復元されています。



高名な画家が復元されたと思いますが、色あせた久蔵の桜図とは別物です。
桜から、なにやら伝わるものが違います。
この世に思い残す念が感じられません。
そう、美術館の等伯の楓図、久蔵の桜図、上位の書院の絵画が復元されています。



高名な画家が復元されたと思いますが、色あせた久蔵の桜図とは別物です。
桜から、なにやら伝わるものが違います。
この世に思い残す念が感じられません。
高級な料亭の大広間という感じにしか感じられません。
やはり、百年単位で残る名画には、オリジナリティがありますね。
名画と言われる由縁ですね。
やはり、百年単位で残る名画には、オリジナリティがありますね。
名画と言われる由縁ですね。
本物に触れるというのは、やはり何か違うものを感じます。
このお庭に腰掛けながら、この空間と一体となった時、自分の存在すら忘れます。
心が無心になりますね。
枯山水の水のないお庭もいいですが、やはり本物の水のあるお庭には、本物の水辺の香りがあり、虫や蝶が飛んでいます。
このお庭に腰掛けながら、この空間と一体となった時、自分の存在すら忘れます。
心が無心になりますね。
枯山水の水のないお庭もいいですが、やはり本物の水のあるお庭には、本物の水辺の香りがあり、虫や蝶が飛んでいます。
擬似したものは、あくまでも方便の世界です。
しかし、方便の世界もあまくで、本物に導くためのプロセスです。
しかし、方便の世界もあまくで、本物に導くためのプロセスです。
仏法世界にも通じますね。
創造する美と創造しない美、どちらも美があることには変わりません。
心地よさという点においては、心を癒してくれます。
創造する美と創造しない美、どちらも美があることには変わりません。
心地よさという点においては、心を癒してくれます。
思い通りにならないことも、日常です。
上手くいかないのは、日常です。
それを常と思えば、苦労も少なく感じます。
上手くいかないのは、日常です。
それを常と思えば、苦労も少なく感じます。
心静かに過ごせました。
ありがたいと感じます。
これも仏縁の賜物です。
ありがたいと感じます。
これも仏縁の賜物です。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈ります。
最後まで、笑いのない安全な緑一色の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。