''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

智積院さんの裏のお庭に癒されました。その3より

昨日も雨が降りましたね。
やはり、実質的に、梅雨ももう少し明けるまで時間が必要なのでしょうかね。
今日も朝から日差しのある京都伏見の地です。

昨日も深夜の帰宅です。
でもいつもよりは早く帰りました。
久しぶりの午前越えではなかったですからね。
日常を離れ、非日常を求めます。

先週の休みは、智積院さんについて書いてます。
智積院さんは、真言宗のお寺さん、それも智山派の総本山という格式です。
真言宗は、弘法大師空海が開宗した仏の教えです。
いくつかの別れがありますが、京都の東寺、高野山と二つの大きな流れのなかに、宗派が発します。
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この智積院さんは、高野山から、紀州根来寺は起源とする宗派ですね。
根来寺と言えば、戦国時代には一大勢力、時に所領70万石と大大名並の勢力となりますが、時の権力者、秀吉公に焼き尽くされます。

武力による天下平定に、従わなかったからですね。
時代の流れに翻弄されます。
そして、この京都の地に移られます。

江戸時代には、徳川の庇護のもと大寺院となり、僧の数数百人、朝の勤行の声が、七条の橋まで聞こえていたとも聞きます。
ちょっと大袈裟かも知れませんね。
でも、静かなところですので、ありと言えばありとも言えます。

寺院内は、総本山という格式にしては、こじんまりとしていますね。
しかし、有料の拝観できる講堂とお庭だけと思っている方も多いですが、その上にも楽しむポイントはあります。
本堂の奥には、この時期最後の紫陽花が楽しめます。
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名残の紫陽花です。
今年も見納めかと、名残花を心の中に収めます。
桜も、紫陽花も、終わりは物悲しいです。
儚いものを感じます。

もちろん、人間も然りです。
いつか、この寿命も尽きます。
それまで、まだまだやるべきことがあります。
天命を聞く。
生きて来た意味を知ると言うことですね。

仏法世界では、人は輪廻を繰り返します。
輪廻し続けるわけです。
前世の記憶も大抵の方は残っていません。
魂だけは、くるくると輪廻します。

私はありがたいことに、仏縁を得ています。
ありがたいと感謝することが、生きるうえで、心地よい安堵感を得ています。
心穏やかに過ごす。
ありがたいことです。
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この智積院には、仏足石というものがあります。
お釈迦様の、足の裏の模様です。

普通の人とは違います。
土踏まずがない、偏平足なんですね。
足だけでなく、手も普通の人と違い水かきが付いています。

指と指の間に膜が付いています。
多くの人をお救い下さるために、取りこぼさないように、水かきが付いています。
足にもあるのかとじっと拝見しましたが、よく分かりません。

唐から、奈良時代には、この仏足石は日本に伝わっています。
奈良の薬師寺の仏足石が有名ですね。

この智積院さんの仏足石は、まだ新しいものですから、はっきりと見ることが出来ますね。
ここは見所の一つです。
あまり他では見られませんからね。

お釈迦様は、立っておられるか、座っておられても袈裟で足の裏は見えませんから、珍しいものなのです。
ここにも仏縁がありましたね。

裏のお庭に向かわないと分からないですね。
あまり観光客の行かない場所ですからね。

非日常がここにもありましたね。
ありがたいと感謝です。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごされますように、祈るばかりです。

最後まで、見えない裏庭話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。