''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

雷と音楽と仏の世界

昨日は、アマデウスの記事に多くの方が耳を傾けて下さいました。
ありがたい事です。

 

音というのは、キリスト教の世界でも大切な要因です。
多くの人にわかりやすく、心に伝えやすい要素を持ち合せています。
音楽のすばらしいところです。

 

宗教音楽はどうも苦手という方も多いです。
独等の世界観がその好みの分かれるところです。
クラッシックの音楽もこうした宗教音楽要素を多く含みます。

 

天が放つ音といえば、雷です。
昨日は一時雷がなっていました。
我が愛機ダイアモンドs21htにも天気予報を知らせる機能があります。
イメージ 1

初めて見ました。
雷の映像付きの予報画面です。
ちょっと怖そうです。

 

雷の落雷を避けるため、昔の人は「なむさん」と言います。
「なむさん」は「南無三」です。南無三宝に帰依すと言う意味です。

 

三宝とは仏法僧の三つです。
仏教世界では三宝は大切です。
(聖徳太子の十七条憲法にも反映されています。)

 

つまり、仏さまのご加護を求めて発する言葉です。
危険を回避するときにもよく言う言葉です。
今の若い方は使わないですね。
私ですら、使いませんからね。

 

雷と言えば、俵屋宗達風神雷神図屏風のように、風神と雷神が天空で神々の舞いをされているイメージでもあります。
こちらは神々の世界ですね。

 

仏の世界でも、雷も必要な存在です。
それが証拠に「妙法華経の中にも、雲雷音王佛(うんらいおんおうぶつ)という仏さまがおいでです。
雲雷音宿王華智佛という名の別の仏さまもおいでです。

 

妙音大菩薩さまをテーマにした経典があります。
この妙音大菩薩さまがお釈迦さまのお会いに来られる話です。
その中で、前世において雲雷音王佛のもとで妙音大菩薩さまが、音楽を奏でて功徳を積まれた話をお釈迦様がされます。

 

剣の達人でなくても、僧侶としてでなくても、音楽を奏でることによって仏さまに仕える事が出来たその功績により、妙音大菩薩さまは、菩薩さまとして淨華宿王智如来さまと言う仏様にお使いされるご縁を説かれています。

 

音楽関係に従事される方にも大いなる希望ですね。
お好きな事をされて、それでいて徳が積めるかもしれない。
ありがたい事です。

 

そんな才がある事をうらやましく思います。
何とも不思議な話が仏教の経典に書かれています。

 

仏教の経典と言えば、抹香臭いイメージがありますが、こうした過去の因果や因縁を説かれています。
ご縁の話が多いです。
縁はつながっています。
良縁悪縁と言えども、因果応報のもたらす縁なのです。

 

雷もどこに落ちるか変わらない稲光に大人であってもすこし怖いものです。
山頂の間近で見ると震え上がります。
それでもすぐには落ちません。
すこし気をつけるその危険度も回避できます。

 

人のご縁も一緒かもしれません。
袖すりあうも他生の縁とよく言います。

 

この「他生の縁」は、「多生の縁」という仏教用語から来ているようです。
本来は、「袖すりあうも多生の縁」という方が正しいみたいですね。
意味も分かるような気がします。

 

多くのご縁に支えられています。
ありがたいと感謝の念でいっぱいです。
夫婦の縁、親子の縁、いろんな縁に囲まれています。
ご縁は大切ですね。ありがたいです。

 

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。