''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

鬼払い 節分のちの 立春か。

本日は立春です。
朝から日差しのありながら、底冷えのする京都です。
まだ、春は先のことでしょうね。
暦では春ということですからね。

旧暦なら、まだ12月ということになります。
去年の12月は、私が播州の産というご縁もあり、赤穂浪士の一節を、月のテーマとしてほそほぞと書いて参りました。

実は、この2月4日が、大石内蔵助を始めてとする赤穂浪士46人の切腹の日ということになります。
切腹のご沙汰は、本人達には判っていました。
しかし、その日までは、はっきりと判っていないということです。

その一家の細川家では、家臣とも交わりもあり、そこは情の細やかな配慮がありました。
「明日、この部屋に花をおつかわします」
と伝えたといいます。

花を供えるということは、切腹の日ということです。
春の花を、霊前供えるという結果になりました。

それまでは、助命することも考慮され、遠島などの流罪とのうわさもありました。
しかし、幕府の命です。

深作欣二監督の『赤穂城断絶』(1978年、東映)を思い出します。
主演の内蔵助は、萬屋錦之介です。

切腹の当日、家禄の下位の者から呼び出されます。
最後に内蔵助の名が呼ばれ、切腹の壇上に廊下を進みます。
その横手に、16もの白い布の架かった棺(ひつぎ)が置かれています。

それを一別することなく、切腹の場に赴きます。
凛とした緊迫した空気です。
他の忠臣蔵にはないシーンです。

介錯人は、細川藩の御物頭 安場一平久幸です。

物頭とは、戦国時代なら、足軽大将や足軽頭として足軽を束ねる隊長のようなものです。
もちろん、江戸時代にも足軽はいますので、それらの管理する役職ということになります。
こうした介錯人に選ばれたということは、剣の腕もあったということでしょうね。
(公儀介錯人が介錯されるという不思議なご縁です。♪ひとひと ぴっちん ひと ぴっちゃん)

安場家では、大石内蔵助に敬意して、この刀は研ぎに出さずに今も保存されていると聞きます。

春さながら、少し重い話になりました。
昨日の豆まきで、心の鬼は、退治されましたでしょうかね。

播州地方では、当然のことながら豆まきもあります。
しかし、それ以上にすることは、塩鰯を焼いて食べます。

「鰯の頭も信心から」とよく言います。
あの鰯の頭を柊の葉っぱに括り付けて、玄関先に置く地域もあると聞きます。

我郷里では、食べるだけです。
小学5年頃より、恵方巻きを食べるという、すし屋の策略に乗せられて、こちらも実施してまいりました。
鬼と巻き寿司の関係は、去年の記事で紹介しています。

共に匂いのきついものは、魔物の鬼も苦手のようです。
東洋といい、西洋といい、魔物は匂いの臭いものが苦手というのは同じでしょうかね。
魔物は、案外きれい好きなんでしょうね。
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とりあえず、私も塩鰯を焼きました。
折角なので、自家製のキムチでニンニク臭さもプラスです。
これで西洋も東洋も両方の魔物から守ります。

心の魔物も、少しは大人しくしてくれるといいのですがね。
イライラ虫よ、うせよ。
怒りの炎よ、小さくなれ。

春の穏やかな風が、心を心地良く吹くことを念じます。
今あるのをありがたいと手を合わせます。
お皿の端に、感謝の気持ちも添えてあります。

今日も平穏無事に一日が過ごせますように、手を合わせます。

最後まで、長々しい話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。