''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

単三を単一に変換します。eneloopより。

今日も天気がいい京都伏見です。
朝の日差しが、裏庭にさしています。
洗濯物もかわいそうな天気です。

こんな日なら、咽も渇くので、たまには炭酸ジュースでも飲みたくなります。
昼間ですので、発泡酒は深夜の帰宅を待っての楽しみです。

炭酸のシュワシュワした咽越しがたまりません。
炭酸中毒とも言えます。
炭酸飲むと気持ちも心も納まります。

炭酸と言えば、単三電池ですね。
一昔前には、リモコンの電池と言えば、単三電池でした。
最近のリモコンは、単四電池が主流ですね。
何かと電池もよく使います。

今やエコの時代、貧家でも、充電式電池に切り替え中です。
三洋電機eneloop(エネループ)です。
エネルギーを輪のように、何度も繰り返し使えるという意味合いでしょうね。

似たような商品が、お店の陳列に並びます。
とりあえず、eneloopを使用しています。

先日の人間ドックの後、ビックカメラで単四電池を4本(1280円)を購入です。
すでに充電済みで売られていますので、すぐに使えます。
同じような陳列にいいもの見つけました。
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単三電池を単一電池に変換してくれるアダプターです。
単一電池も昔ほど使わないとは言え、湯沸器やガスレンジの着火用の電池は、この単一電池です。

我が家のガスレンジは優れものです。
ガスの元栓閉め忘れても、レンジのスイッチ入れないとガスは出ません。
時間が来れば、勝手に電源が切れるオートオフ機能付です。
偉いのですが、単三電池が切れると全く機能しません。

二昔前のように、マッチを点けて何ていう手は使えません。
ですから、絶対に電池の予備は置いています。
しかし、その寿命は早く、すぐに電池切れです。

その手間のを省くために、このアダプターが便利です。
もともと、単一電池から単三電池まで、直径は違えど、長さは同じですね。
ですから、こうしたアダプターもありです。

有りそうでなかなか見つけられません。
百均で有りそうですが、なかなか見つかりません。
ちょうどいい機会と思い、こちらも購入(380円)です。

一台で数台の利用ができます。
なかなかいいですね。
人生も、アダプターみたいに、前世の記憶をそのまま、来世に伝えることが出来たらいいでしょうね。

その前世の前世の、幾世の記憶を持ち続けられたら、人生失敗しないで、過ごせまでしょうかね。
エネループも、何度もその容器を利用できます。

しかし、人間の体には寿命があります。
その代わり、仏法世界では、その魂は、幾度となく輪廻します。
過去世の因縁が、この現世にも来世にも関わって来ます。
縁起という意味でも、何かの原因と結果が、世を超えて、絡み合っています。

そんな中、前世の記憶は引き継がれません。
しかし、引き継ぐ方もおいでです。
お釈迦様がそうですね。

法華経という経典の中で、過去世の中でいろいろな人生を語られます。
提婆達多(だいばだった)が阿私仙人であった時に使えていた話であったり、常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)であった話とか、16人の王子として、阿弥陀様と兄弟であった話が語られています。

それ以外にも、過去世に提婆達多(だいばだった)が大臣として王様の后(きさき)を騙して、王であったお釈迦様を亡き者にした話とか、いろいろな人生があります。

つまり、ブッタとは目覚める人、覚者という意味ですね。
覚者とは、ただ悟りを開かれたという意味だけでなく、幾世の過去世の記憶に目覚めた人であるとも言えます。
お釈迦様は、久遠實成大恩教主釋迦牟尼世尊様です。

今回初めて悟りを得ていたわけでなく、幾世の中でも、悟りの開きその教えを伝えていたのですね。
そのために、妙法華経という教えを説かれるにあたって、地上が割れて、そこから「地涌の菩薩」と称する上行菩薩様を筆頭・無辺行菩薩様・浄行菩薩様・安立行菩薩様が現れます。

過去世に教えを説かれた菩薩様が、地上から突然現れます。
この時の上行菩薩様の生まれ変わりが、日蓮さんという話は有名です。

つまり、前世の記憶をすべて共有することが、目覚めたということになるのではないかと思っています。
それによって初めて、輪廻の苦界から脱出出来た。
つまり、解脱(げだつ)されたと言うことなのかもしれません。

善知識ということでしょうかね。
悲しきことながら、凡夫の私には想像するより仕方ないですね。
神通力を備えれば、過去世も来世も、もちろん現世の出来事も見通すことが出来ると聞きます。

私には、今日の晩御飯さへ、何にするのかということすら、見通すことができません。
用意しているものと違う物が、食したくなることすらありますからね。
または、差し入れ頂く事もありますからね。

そんなことすら見通せないのに、過去世や来世というと、片腹痛いですね。
いえいえ痛風ですから、発作なら、足が痛いですよ。

凡夫に生まれた喜びもあります。
先が見えては困ることもあります。
見えないから進めるということもあります。

見るのは、ずっと先でなく、今日の今の足元だけです。
しかし、転ばないように見つけます。
今ある幸せをしっかりと感じます。
ありがたいと感じられることが、至福の味わいです。

元気に暮らさせて頂くこんな幸せはありません。
こうした因縁を頂いた仏縁に感謝いたします。
心穏やかに過ごせるように致します。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、被り物の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。