''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

藤森神社の火焚祭より。

秋の風吹く京都伏見です。
先日、藤森神社、火焚祭の焚き木が家のポストに入っていました。
この時期は、こうしたお布施の袋が入ります。
寸志程度しか入れることが出来ませんが、気持ちと思って心ばかりのことをさせてもらっています。

去年もお焚き木の記事を書きました。
季節の節目になりますね。
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今年も「平穏無事」を祈ります。
家内安全、交通安全、なんでもいいのでしょうが、穏やかな日々を過ごしたいというのが、一番の願いです。
毎日、このブログの記事でも、最後に平穏無事を祈っています。

特別な幸せなことは、なかなかありません。
それ以上に、日々の穏やかな生活にこそ幸せがあるように感じています。
ありがたいことです。

藤森神社さんは、大変古い神社さんです。
学問の神様でもあります。

駆馬神事から、競馬関係者の参詣も多いです。
勝ち馬投票権に、願いをかけてみるのもいいです。
菖蒲節句の発祥の地から、菖蒲から勝負に音が同じです。

馬様に勝負を掛けて見るのも夢があります。
同じ伏見には、淀の競馬場があります。
藤森で願掛けて、淀に行くのもなかなかの勝負師かもしれません。

淀と言えば、落語の「淀五郎(よどごろう)」です。
古典落語の名作です。
江戸時代の歌舞伎の芸に生きる役者の哀歓を描いた作品です。
六代目三遊亭圓生の十八番だったということでも知られています。

話は、『仮名手本忠臣蔵』の塩冶判官の役者が急病で出られなくなった。
座頭の市川團蔵は、若手の澤村淀五郎を大抜擢する。
しかし、今まで大きな役をやったことがない淀五郎は、そのプレッシャーから持ち味の演技が出来ない。
肝心の四段目「判官切腹の場」になると、大星由良助役の團蔵は舞台に出ないで花道で平伏したまま、判官役の淀五郎が呼んでもそばに来ない。
そんな事が数日も続く。

座頭の市川團蔵は、皮肉屋と呼ばれる偏屈な役者です。
淀五郎は、何故判官が呼んでも来ないのか分からず親方に尋ねる。
「親方、どのように判官を勤めたらよろしゅうございますか」
「お前は役者だろ。そんな事も分からない。本当に腹を切れ。お前みてえな下手な役者は腹を切って死んじまえ」と皮肉たっぷり。

悩んだ淀五郎は、舞台で本当に腹を切ろう腹をくくった。
黙って今生の別れを言うために、世話になった初代中村仲蔵のもとに顔を出します。
どうも様子が可笑しいと感じた仲蔵に、座頭の市川團蔵の気持ちが変わらないのかと諭される。
その上でと判官切腹の心情と大名としての品格などや芸の工夫を細かく教えてくれた。
喜んで淀五郎は死に物狂いで徹夜して稽古する。

その甲斐もあって、翌日の舞台は、判官役の淀五郎は、役者として見違える様に上達する。
さすがの團蔵も、舞台で立派な判官役に呼ばれれば、切腹の判官傍に近づいてくる。
舞台まで出て淀五郎の判官に平伏する。
淀五郎も團蔵が近寄ってきた事に驚き、ここでさげの、「ウム、待ちかねた。」
♪チャンリン チャンリン デンデン
(「ウィキペディア参照、一部抜粋」)

なかなかの面白い噺です。
先日の日本の和芸で、金馬さんが演じてられたのを見て、やはりこれまた名人だと感じましたね。
歌舞伎のことも同時に楽しめましたね。

仕事の事でも、すべてのことに当てはまりますね。
なかなかうまくいかないと、他人の性にして、人を妬む。
心の三毒がここに生じます。

「若(も)し、人憎みの罵(ののし)らば、口則(すなわ)ち閉塞(へいそく)せん」
もし、人を憎んで罵ったら、口はすぐに物言えなくなりますと言うことですね。

法華経の安楽行品第十四の一節です。
いつも安楽に過ごしたいと、心で唱える一節です。
如来の衣とは、柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心是れなり、です。
仏様の境地に近づけば、この衣を身にまとわないといけませんね。

凡夫の私には、毎日何度も唱えないといけない大切な一節です。
それでも、罵るようなら、観音さまの名を唱え、心の三毒を廃します。

「耐えよー」(赤いハンカチ口にくわえて「横山~」)
横山たかしさんも、「ほら」も吹きます。
それも、方便なんですよね。
達観した境地なのかもしれませんね。

舞台という、板の上では、役に徹して生きるということが、芸なんですよね。
今の私も、自分という役を現世で演じています。
本当の自分が何なのか、どういう魂なのかは、不明です。
しかし、現世に生きているのは事実です。

今与えられた役、天命をしっかりと演ずることが、現世の勤めです。
この世に、神も仏も存在します。
見えはしないけれど、しっかりと感じます。

ありがたいことに、仏縁を頂いています。
もちろん、諸天善神さまのご縁も頂いております。
神仏を尊ぶことは、大切です。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事(藤)に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、判官びいきな話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。