''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

7歳児ゆうゆうの試練の縄跳び練習 より。

お題「ささやかな幸せ」

年末年始を含んだ冬休みに入りました。

娘のゆうゆうは、どうも運動センスが良くないです。 

親2人のDNAを受けていますので言えた筋ではありません 

娘に罪はないです。

 

でも、学校の運動の課題がある以上、仕方ないとは癒えません。 

鉄棒であったり、マット運動であったり、試練が続いています。 

そんな中、縄跳びの特訓が続いています。 

 

父が鬼の形相で、厳しく指導しています。 

最初の2日程指導で、形にはなりました。 

最初は、変える飛びのような腕の回しでした。 

縄跳びの形すらなっていません。 

 

それを指導して、5日目にして、人並みになりました。 

まだ、調子の良い時で、20回ほどしか飛べませんが、十二分です。 

本人も、飛べるので、練習は続けてくれます。 

お友達と学校で、縄跳びで遊んでいるようです。 

 

近くの遊歩道の公園で、猛特訓です。 

夕刻も暗くなるのが早いので、20分ほどの練習を続けています。 

それでも、形にはなって来ました。 

厳しく指導した甲斐がありました。 

 

先生にも、面談で、急に縄跳びが飛べるようになったと褒めて下さいました。 

まぁ、それでも普通の子供さんの縄跳びには、未だ追いついていません。 

一緒に遊べる程度です。 

それでも、本人は楽しんで練習してくれます。 

ありがたいことです。 

 

何にも形は必要です。 

落語『淀五郎』でも、名題になったばかりの淀五郎が、暇乞いに訪ねた仲蔵に、いろいろと親身に相談に乗って貰います。 

私の中では、圓生さんの諭の落語が好きですね。 

タイプの違う金馬さん諭の台詞も好きですね。 

 

判官の切腹シーンをやって見せている最中、仲蔵が「誰の形でやっているのか?」との問いに、「誰の方でもない」と答え、「それじゃ形なしだ」と笑いを誘います。 

自分がやらない芝居でも、見ておかなくてはならないし、人に教えてやってもいいと、諭します。 

 

当時の歌舞伎の世界は、出自によって、出世の道が決まります。 

その大部屋あがりの稲荷町から出た役者が名題になるのは、異例と聞きます。 

見込みがあるから、師匠は辛く当たる。 

もっと上手くやれるはずだと、もっといい役者になれるはずだと、期待していると仲蔵も言います。 

 

でも、師匠は、家臣の自分が殿様にああしたほうがいい、こうした方がいいとは言えないと言うのも、ある意味筋です。 

芝居の上では、主人と家臣です。 

切腹シーンでも、近くに寄って来ません。 

 

淀五郎は、仲蔵の知恵で、何とか工夫を見つけます。 

多くの人が、共感するシーンだと思います。 

仕事上の上司とのトラブルは多いです。 

指導の仕方が逢わないと思う事も多いのも事実です。 

 

プレーヤーと指導者は違います。 

教えるのも、テクなんですよね。 

師匠が、見て覚えろと言うのも、筋です。 

 

ただ、どこを見たらいいのも分らないのが現状です。 

そこまで、丁寧に教えたら、自分の工夫を覚えない内に、1人前になった時、すぐにどこかで仕事上問題にぶつかった時、独りで解決は出来ない要になりますからね。 

教えて貰って出来ることと、出来ないことが世の中にはあります。 

 

禅の言葉に、「不立文字(ふりゅうもんじ)と言うのがあります。 

不立文字(ふりゅうもんじ)」とは、禅宗の教義を表す言葉で、文字や言葉による教義の伝達のに、体験によって伝えるものこそ真髄であるという意味だと聞きます 

 

それに似ているかもしれませんね。
芸の世界も、もっとでしょうね。 

特に伝統芸能の世界は、家の芸があれますからね。 

工夫の余地も、限界があります。 

その中で、自分の色も芸を出すのは、至難の技だと思います。 

芸道は、難しいでしょうね。 

 

最近、話芸でも、特に講談が人気になっています。 

講談師の神田伯山先生の影響でしょうね。 

あくまでも、1人のスターが出たことによって、寄席に多くの人を招きます。 

また、落語の世界でも、女性の落語家の桂二葉さんの出現で、いろいろと落語を聞く裾野が広がったような気もします。 

浪曲の世界でも、女流浪曲師の出現していると聞きます。 

漫才でも、M-1の登場により、やはり、漫才の裾野が広がったと思います。 

 

やはり、芸人は、売れてなんぼです。 

名人芸でも、世に知られていなければ、その芸に光が当たらないです。 

また、その周辺にも芸の光が当たるのだと思います。 

寄席にも、多く方が来られて、ライブの楽しさも感じられることでしょう。 

 

7歳児ゆうゆうも、少しでも縄跳びが出来れば、よりお友達との輪も増えるのかもしれません。 

少しでも、上手になろうと精進しております。 

父としては、それに付き合うことだけしか出来ません。 

私としても、やれることは、やるだけです。 

 

冬休みは、大変です。 

こんな毎日が続くのは、ちと辛いです。 

耐えるしかありません。 

 

親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。               

ありがたいことです。             

             

ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。               

ありがたいことです。               

               

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。               

神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。               

ありがたいと感謝です。               

               

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